見出し画像

思春期短し、夢見よ乙女

身頃も襟も紺一色、襟に白の3本ラインすら入っていない地味なセーラー服に臙脂色のスカーフ、膝が隠れてしまう中途半端な丈のプリーツスカート、それに合わせる靴はどういう事情からなのか白のスニーカー。ローファーの着用が何故か固く禁じられている。
肩から斜めに掛ける大きくて重たい指定鞄はフタの部分に校章のプリント。自転車通学時に被らされる白のヘルメットにも額の上に校章のマークが。
それらはどれもこれも悪意でも込められているのかというくらい、意図的にそうデザインされたと思わせるには十分な程にセンスが悪かった。

制服も校則も学校もこの街も、とりまく環境全てが嫌だった。中学生の僕は若さと少女性を可能な限り利用したいと思惑しつつ、反面でとにかくとっとと大人になってこんな街からは一刻も早く脱出したいとそれだけを願ってもいた。
田舎の子供が、湿った雑草の臭いがする街から脱出する方法なんて大人になる以外何もなかった。

この街には中学校が一つしか無い。
同じ時期に生まれた近所の子供を寄せ集めただけの小学校3校を更にひとつに纏めただけのこの中学では小学校時代に虐めを受けていた者はエスカレーター式に引き続き虐めを受ける事が入学前から決まっていたので、僕にとって中学校とは小学校同様に特にこれといった楽しみもひとつの魅力もない場所でしか無かった。

小学校卒業前の採寸で、これからグンと背が伸びるでしょうからと大きめのサイズで作らされ3年間ブカブカのままだった制服は顔周りに少しも明るい色がない暗い紺色のおおきな襟と身頃で、何だか表情までが暗く見える気がしたし、ずしりと重たい色味とひと回りもふた回りも大きなサイズの所為でコンプレックスだった低い身長を更に低く見せている気がした。

『ちょっと!新入生』
知らない少女達に呼び止められた。学年毎に違う上履きのカラーから一学年上の生徒なのだと理解する。
『1年はワンポイントソックス禁止なんだけど!』
中学は息苦しく露ほども役にも立たない校則とは別に、更に1年生だけが禁止とされている誰も得をしないルールが幾つも敷かれていた。
白いくつ下のワンポイント、スカート丈やスカーフの丈を詰めていいのも、黒、紺、茶のヘアゴムのうち、紺と茶の使用が認められるのも2年生になってからだという。
『…何でですか』
反抗心というよりも純粋な興味で僕は尋ねた。何故他人の靴下の小さな刺繍の有無に興味関心を抱けるのか、そもそも紺地の糸でスポーツブランドのロゴが刺繍されただけのポイントソックス程度でこのセンスの悪い制服姿が覆るはずもないというのに。
たったの1年だか数ヶ月だかだけ早く生まれてきたという理由だけで、どうして【新入生】にそこまで威圧的に敵対心と興味関心を向けられるのだろう。
『何でとかじゃねーし。ルールなんだから従えよ!ウチらだって1年の時は守ってたんですけど!?』
では引き続き、学年が上がってもルールを尊厳するべきなのでは?という疑問が再び頭をよぎったが口には出さないでおく。
言っている事が全然解らんという思いが口から出ない変わりに顔から出てしまった僕は、ムカつくんだよねコイツという理由で肩を強く押されてよろめいた。

『ねー、なんで態々目ぇ付けられるような事すんのー?靴下くらい黙って従って白いの履いときゃいいじゃん』
教室に戻るなり、一部始終を見ていた同じクラスの少女に呆れられた。
『んー態々ってゆーか』
こちらとしては家にあった靴下の中で校則違反にならないデザインのものを適当に履いてきたに過ぎない。
ほんの少し早く生まれてきただけの偉ぶりたい少女達の為に、ポイント無しのソックスを新調する方が余程『態々』に感じてしまう。
しかし改めて人生で初めて他人の靴下のポイントに注視してみると、確かにワンポイントソックスを履いている者はこのクラスでは自分だけだった。即ち、僕の感覚がズレているのだろう。
面倒臭いなあ。もういっその事、指定のソックス以外の着用を校則で禁じて欲しい。中途半端なルールはその中でわずかに生まれる自由の奪い合いでトラブルの元が勃発するだけじゃないか。

『先輩に呼び出されたりしてさー、恐くないのー』
なおも心底呆れた表情で訪ねられたけれど、ほんの少し早く生まれてきた数人の少女達にいけ好かんと文句を言われてせいぜい肩を押されるくらいの行為に恐怖心を感じる事は正直無かった。
ヤンキー漫画にあったみたいに木刀で殴打されるだとか、煙草の火を押し付けられるだとか、鼻腔に鉛筆を刺されるだとか、そういった事を実際にされたら流石に恐怖心は感じるだろうけども。
『とにかく、もうそんなの履いて来ないでよね。一緒に居たらウチまで目ぇ付けられるかもしんないから』
関連性が全く理解出来ないけれどそうなのか。そういうものなのか。それでは流石に申し訳無いので母に頼んで無地ソックスを幾つか買って貰おうか。
面倒臭いな。そんなもの少しも欲しくなんないのに──

『ねー、───サンて五、六年の時、苛められてたってホントー?』
違う小学校出身のグループの女の子たちが心配や質問というより嘲笑を込めて話しかけてきた。
『え、そうなの?』
疑問符に疑問で返答してしまったが、強がりで反論してやろうという気持ちからでは無かった。当時僕は自分が受けていた行為を苛めとは認識が出来ておらず、嫌われ者が嫌がらせを受けている、そう認識していた。
そんなだからあんたは苛められんのよ!と教師に罵声を浴びせられていたが、僕の思い描く虐められっ子───、例えば教室の片隅でめそめそ泣いてしまうだとか、たはまた不登校になってしまうとか、はたまた考えたくはないけれど先日のニュースの如く自ら死を選んでしまった少年…それらの姿や行動と自分がいまいちリンクしていなくて、あれはれっきとした苛めだったと認識出来たのはもっとずっと大人になってからだった。

『そうなの?って言われても知らないから聞いたんですけど?───ちゃんからはそう聞いたんだけど』
小学校時代、僕を焼却炉に閉じ込めたメンバーの名前が上がる。中学に進学して彼女達とはクラスが離れていた。ついでに言うと、焼却炉に閉じ込められる原因ともなった好きな男の子ともクラスは離れていた。
『じゃあまあそうなんじゃないの?』
───ちゃんがそう言っていたのなら、態々僕に確認なんかしないで真っ直ぐ信じてあげたらいいのに。
『…やっぱこの人ヘンだよね、行こ』
あまり関わってはならない変な人というレッテルを貼られことで、僕はようやくその場から解放して貰えた。

ヘン、かぁ。
僕は教室の窓から外を見た。遠くの景色は全て山に覆われている。廊下に出て反対側の窓から眺めてみてもその景色はほぼ同じだ。
時々県外の人らからは富士山がある事を羨ましがられるけれど、あんなのはただのフォルムの綺麗なデカい山だ。
全方向山に囲まれただけのこの小さな田舎では、列にきちんと収まらないと悪目立ちをしてしまう。自分は列を乱す存在というよりも最初からその列に並べてすらいない気がする。
それは今で言うところの厨二病ともまた少し違う感覚で、人と違う事をカッコイイとは特別思っていなかったし、どちらかと言えば不便を感じることの方が多かった。

苛められる方にも原因があんのよ!!
小学校時代の担任は事ある毎に僕にそう声を荒らげていた。
教師としても人間としても女性としても何ひとつ尊敬の出来ない冴えない中年女教師であったし、原因さえあれば苛めを正当化して良いとは思えないけれど、ことに僕に関して言うのであればこちらに何かしらの原因があるというのは概ね同意ではあった。

高校を卒業してどうにかこの田舎から脱出するとして、最短であと6年。あと6年の間だけでもせめて列に並べるくらいの社会性は身につけておいた方がこの6年、生活がし易いし、恐らく将来的にも都合がいい。
というわけで不用意に攻撃されたい訳でも敵を増やしたい訳でも無かった僕は、思い描く【普通の中学生】に擬態を試みた。
僕には理由は解らないけどみんながそうする以上、何某の理由はある筈なので、休み時間は何も催していなくてもみんなと並んでゾロゾロとトイレに行き、通学と下校時以外の時間は体育の授業の有無に関わらず体育着で過ごすという暗黙のルールにも従ったし、強請って買ってもらったポイントのないソックスも履き続けた。
結果、薄々予想出来ていた通り【普通の中学生】の才能が全く無いという事が確信に変わっただけだった。
2週間で擬態を諦めてしまった僕は、変わり者街道にルートを戻すことにした。

一先ず、あと3年か───
中学に入学したばかりの12歳の子供にとっての1年という時間はとてつもなく長い。
3年という途方もなく長い時間を前に、僕の気持ちはセンスの悪い制服の紺色くらい暗くて重たい気持ちに包まれていた。
きっと自分の将来には何の役にも立たない数学の教科書は広げたまま殆ど見向きもしないで、いつかアレを超えてどっかに行ってやるんだと窓の外から見える重々しい山々を睨みつけて授業をやり過ごした。
中学生活はまだ始まったばかりだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?