【要約と学術意義】谷川渥「ジャンルの解体」『表象の迷宮 : マニエリスムからモダニズムへ』

(1)要約
谷川は本稿において、絵画や彫刻の境界が流動化し、名称と実態がますます乖離してきているように見える事態を「ジャンルの解体」と定義し、彫刻と呼ばれるジャンルが、絵画は純粋化や自律性を目指していった動向に比べ、逆にジャンルとして拡張され、曖昧になったと主張している。それは、グリーンバーグやフリードの指摘するフォーマリズムを擁護したモダニズムの思想を逆説として現れた現象として捉えることできるという。
絵画を中心とした表現の純粋化を求める傾向は、絵画とも彫刻とも判断できない作品が多様に生み出されたことを指摘する。例えば、オブジェの発見、キネティックアート、クリスト「梱包」、ジョージ&ギルバート「生きた彫刻」など、このような「気がかりな物体」の出現により絵画と彫刻の境界が曖昧化されたという。また、グリーンバーグの主張する絵画における平面性が彫刻において適応できない曖昧な論理であり、フリードの演劇性の理論はフォーマリズム作品の規範前提に論じられていることから、根本的な純粋化に対する理論がないこと指摘する。これに対してロザリンド・クラウスの彫刻が「拡大された場」であること明らかにした「拡大された場における彫刻」を援用し、モダニズムの一連の主張が彫刻というジャンルを曖昧に拡大された場を生み出した逆説であることを明らかにしている。
(2)学術的意義
 谷川渥(1948-)は日本の美学者・美術評論家である。『表層の迷宮:マニエスムからモダニズム』は「顔」「蛇」「皮膚」「ぎっしり」といったような個々の表象をめぐる考察がなされているが、「ジャンルの解体」(1992)においては「彫刻」という「ジャンル」をひとつの表層とみなし、その解体と変容の様相を扱っている。
 20世紀美術以降に起きた美術における様々な動向、キュビズム、シュルレアリスム、抽象表現主義、フォーマリズムは主に絵画を中心とした自律性や純粋性を求めた動向である。絵画を中心とした活発な美術活動に対して、彫刻は同様の工程を踏むことなく、逆に拡散された境界のあやふやなジャンルとなっているという指摘は当時の彫刻がどのように捉えていたか明解な整理が行われている。グリーンバーグ、フリード、クラウスの彫刻を軸とした論考を逆説的に捉える視点は独創的ともいえる。谷川が主張するジャンルの解体によって、今日の彫刻作品が美術批評の対象として弱体化につながっている現象ともあわせて考えられることができる。

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