比べるのは過去の自分
記事にお越しくださりありがとうございます。
教育費をしっかり準備したいシングルマザーのためのマネーライフコーチ・副業銀行員の稲野茜です。
今日は、他人と自分を比べることがいかに意味のないことなのかを千夏NLPを学んで気づいた、というお話をしたいと思います。
まず、人が劣等感を持つときや「自分ができていない」と苦しいときは、人と比べて自分がどうか、という視点で物事を捉え、良いか悪いかというジャッジメントを自分に対してしているのだということです。
千夏NLPを学んでから、これまで私はいかに人と比べて自分をジャッジし
自己肯定感を下げてきたのか、ということに気付き、愕然としました。
そして、これまでは、そこからどのように抜ければ良いのかがわからず、見ないふりをして自分を守ろうとしたり、本当はやってみたいのに、闘う土俵に上がらない選択をしたりというふうに、もがいてきたように思います。
(要は逃げ)
でもそのことがいかにナンセンスで意味のない行為であったか、ただ自分で自分を勝手に振り回し、感情のジェットコースターに自分を乗せていたのかということに気付きました。
そもそも、比べているその人と自分は、本当に比べるべき対象としてふさわしいでしょうか。
例えば、私は中学・高校時代は陸上部で短距離走の選手でした。
全国大会を目指すメンバーとして日々仲間と練習に励んでいました。
私は自分より速い子を見て、「同じ練習をしているはずなのに、あの子の方が速い。自分はなんてダメなんだろう。」と劣等感を持っていました。
陸上競技は、タイムとして自分の実力を目の当たりにさせられる厳しい競技であると思っています。
日々の食事や睡眠、体重管理といったフィジカルのケアと、
苦しい練習から逃げずに、自分と闘い、弱い気持ちに打ち勝ち、良いイメージを持つことを常に意識するなどといったメンタルのケアを同時に行い、試合に挑みます。それでもベストタイムを出すのは稀、といった厳しい世界です。
それを、みんながやっています。
そもそも、持って生まれた体が違えば、それぞれの家庭での食事、睡眠時間、勉強時間(学生で陸上だけやっているわけではないので)、メンタルの状態は人それぞれ違って当たり前で、「試合に勝ちたい」と思うのであれば、人一倍努力しなければならないわけです。
それを、本当に人一倍、二倍、三倍とやったのか?ということなんですよね。
勝っている人、速い人は、それをやっている。
だから結果が出ているんです。
なのに、結果だけをみて、「私は劣っている」と劣等感を抱くこと自体が自分への過信だったのですよね。
やらずしてできないのはそりゃ当然で、やってないのに結果だけほしいなんて、自分どれだけすごいと思っているの?という話でした(笑)
結果を出しているその人は、そこに至るまでの過程をしっかり踏んでいるからであって、その結果だけをみてジャッジするのは、ナンセンスだなぁと。
そう思えるようになってからは、劣等感に苦しむことがほとんどなくなりましたし、自分へのジャッジメントをする傾向が強いと気づいてからは、「あ!また私やっている」と自分を客観視することが少しずつできるようになりました。
そこを超えたければ、やるしかないのだと思います。
(どこまでも続くよ、弱い自分との闘い。でもトレーニングです。筋肉と一緒で必ず強くなれることも知っています。)
人と比べて自分を落ち込ませるのではなく、
<どうしたらできるようになるか?>ということにフォーカスを向けていきます。
今挑戦しているBeauty Japanでも、あらゆる場面で自分との闘いだなぁと思うことがあります。
そこを逃げずに着実にやっていけば、それが自分のスタンダードになる。
全てのことが自分の糧になってくれ、いつかそれがどなたかの役に立つ笑い話になってくれるのだなと思って頑張ります。
決意も込めてこの記事を書きました。
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