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「死」から「生」をみる

こんにちは!アカネです😊

三浦春馬さんが亡くなったことは、
とても衝撃的でした。
はじめに聞いたときは思わず
「えっ⁉️」と叫んでいました。

そして、昨日からモヤモヤとした思いを言葉にできずにいました。
それでも、なにか言葉として吐き出しておかなければいけないような気がして、
今、宇多田ヒカルさんの「」という曲を聴きながら書いています。ポップでありながら意味が深く、生や死を見つめるときにはだいたい聴いている曲。


私個人的には、生きたいと思いながら
亡くなった人をたくさんみていること、
私自身、本気で死にたいと思ったことが
これまでの人生でないこと、
身近にも自死した人がいないことから、
このような末路をたどる人の気持ちが、
わからない。

ただ、三浦春馬さんは生きたいと思う以上に、死を選ぶなにかがあったんだろうなあ。


自殺を真剣に考えたことがある人には、
お気楽だと思われるかもしれませんが、
それほどの苦痛なら逃げてもいいと思うのです。迷惑をかけてもいいと思うのです。命ほど儚くて大切なものはない。

がん末期のように
自分の身体が息苦しさや痛みで耐えられないということでない限り、
環境を変えたり、休んだりして、一時的でも苦痛から逃れることができるのではないかと。

そこで、なんにも考えずにゆっくり過ごしていると
自分が生きてきた世界はちっぽけだったと思うことも多いと思うのです。
移り変わりの大きな世の中なので、
その間に状況が変わることもあるし、
自分の考え方・価値観が変わることも。


逃げるは恥だが役に立つ。

ドラマのタイトルにもなった、このことわざの意味は
恥ずかしい逃げ方だったとしても、生き抜くことが大切。
という意味で、そこから発展して、

今いる環境にしがみつくのではなく、
逃げることも選択肢にいれ、
自分の得意なことが発揮できる場所に行こう
というもの。

私自身も少しだけですが、
王道路線を外れました。
そうしたことで、気が楽になった。
海外に短期留学して
自分の見方が狭かったな〜と感じました。
世界は自分が思ってるよりも、
もっともっと多様性があって広いんだと思います。
心や身体を壊してまでやることなんてひとつもない


といっても、自殺をする人はそこまで考えられる状態じゃないんだろうなあ

三浦春馬さんは有名だった分、
逃れることができないと思ったことが
多かったのかもしれません。

私自身も、たまたまこれまで自殺を考えたことがなかっただけで、誰にでもふとしたきっかけからそう考えてしまうほど追いつめられることはあるかもしれない、、

それでも、死を選んでほしくはなかった


死というものは、私たちが思ってるよりも、もっと身近なものだと思います。

現代では、死は閉ざされたもので、
人の死をみたことがない人も多い。
でも少し昔までは、家族に見守られながら、家で亡くなることが多かった。

そうやって、身近に死というものを意識することで、
自分がどう生きるのか。
今生きている自分という存在をどう感じ、どう扱っていくのか、
考えていたのではないでしょうか。

そして、自分の命の尊さを考えたとき、
周りにいる人たち(SNSも含めて)の命も同様に
相手が生きてることはキセキだと感じて
目の前の相手に優しくなれるのではないでしょうか。


このような悲しいことが減るために
できることのひとつは、
死は身近にあるもので、
自分は生きてるだけで価値がある
ということを実感する経験なのかもしれません。


三浦春馬さんのご冥福をお祈りします。


とりとめのない文章になりましたが、
本日もお読みいただき、ありがとうございました💖

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