31歳の11月26日:誰かの声が聞きたい

今はクラムボンのコントラストを聞きながらこれを書いてる。

誰かの声が聞きたくて、話したくて、愚痴を聞いてほしくて、目が乾いて、うたた寝する帰りの通勤電車。
私はどうして会社を辞めないんだろう。
疲れて顔色の悪い先輩は、話しかけられる前に誰にいう訳でもなく「疲れた」とか「しんどい」と呟いてる。
もう「大丈夫ですか?」と聞くのも面倒くさい。だって、それがいつものことだから。私には先輩を救えないし、先輩も私に救って欲しいなんて思っていないだろう。でも、そういう人の気配に私はもう疲れたのだ。巻き込まれたくない。
空っぽの毎日が過ぎていくような、リモートで人の少ないオフィス。誰もが抱えているような先の見えない不安と緊張、そして抗えないからと無気力でどこにも答えや解決がないような、簡単に言えば救いがない感覚。
私には上司たる上司もいない。頼れる先輩や気の許せる同僚もいない。
なのに、どうして私は今の会社にいるんだろう。

辞める勇気がないから。

究極的にはこれに尽きる。
今までの私なら、何かしら理由をつけて残る意味をつけていたけど、もう本当に惰性で、このご時世で正社員というところに甘んじているだけで、仕事なんて飛びまくりで、新規獲得の糸口もわからず、社内は仲が悪くて、成長できるようなチャンスも、モチベーションも、やりたい仕事もこの会社のどこを見渡してもなさそうなのに。
ふわふわとこの状況だから仕方ないと、焦らずに過ごすのも大切なような気もする。
だけど、時間を無駄にしているような気にもなる。

やりたいことに挑戦するのも良し、新しい人に出会うために環境を変えるのもいいと思う。なのに、動けない。
疲れ切ったような気もする。疲れ切ってるのに、慣習だけで動いてる。
誰かが言ってた「本当に疲れ切ってしまう前に、仕事を辞めないと次に行きたい時に動けない。動く力が残っていないから」って。
朝起きた瞬間から、疲れたなって思って。何も始まっていない1日も想像できるくらいつまらなそうで。気づけばお昼を過ぎて夜になり、そうして1週間が終わっている。
生きてるだけ、生きてるだけが精一杯なの。なんか気持ちがそうなの。

こんなことを誰かに話したくて、聞いてほしくて、なのに私はヘラヘラして人からの愚痴を聞かされてばかりで、なんで皆そんなに簡単に愚痴れるのかと思う。私はよく「話しやすい」とか言われるけど、「話しやすい人でいたい」と思ってるからだし。天性で話しやすい人をやってる訳じゃないのに、気づいて欲しい。
愚痴だって、自分で消化してくれればそれが一番いいと思ってる。愚痴、悪口は人に泥を投げてるのと同じだったりしないかい。私は泥を塗られているような気分で、顔では笑って話を聞いてる時があるよ。

なんてことを、最近はずっと思っているけど、やっぱり誰にも言えない言わないのだった。

それからもう一つ、忘れられない人がいるよって、もう隠さずに生きていこうと思っている。忘れられない人がいることを悪いことだと思っていた自分がいたけど、受け入れていこうとスタンスを変えている最近。

こんなこと全てを、誰かに電話でもして話したかったけど、LINEの友達をたどっても結局誰にも電話する気になれなかった。誰に電話をしたらいいかわからなくて、公園でタバコを吸った。くるりの東京が耳から体を抱きしめる。

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