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ノープラン人生の始まり

短大をよく分からないまま卒業した私。
何をしようか。
何がしたいか。
とにかく舞台に立ちたい。

奈良で仕事を探しても舞台の仕事なんてあるわけがない。
そうだ!
オーディションだ!
何も無く東京に行っても仕方がないので、とりあえずオーディションを受けて仕事を決めてから東京に出よう。

今もそうだが、私は考えたら即行動する。この瞬発力は誰にも止められない。誰にも相談せずにまず動く。そして、決まってから周りに報告するのである。

この時も、あるオーディションが目に留まった。

元SKDの方が集まりレビューショーの公演をするのでその新人オーディション。

SKD(松竹歌劇団)をご存知の方は少ないかも知れないが、戦前から東京•浅草を中心に活動していた少女歌劇団である。西のOSK(大阪松竹歌劇団)とは姉妹劇団。
かつて繁栄期には宝塚歌劇団と競ったこともある。
残念ながら時代と共に縮小されて、1996年に解散となる。

しかし、SKDのトップスターだった千羽ちどりさんを中心に新しく「STAS」というレビュー劇団をまた新しく立ち上げるという、天王洲アイルでの公演のためのオーディションであった。

レビューショーという事は、羽根を背負う、ラインダンスをするという事。
いきなり私に願っていたチャンスが巡ってきたのである。この舞台に立ちたい。

親に説明をして了承をもらう。
私の親はいつも突飛な事をする私を止める事もなく、思う通りにさせてくれた。
今、自分が親の立場になり、コレがどれほど凄い事なのか痛感する。好き勝手させてくれて、資金の援助もしてくれて感謝しかない。
ただ、バブル期で商売が繁盛していた事も大いに関係すると思うが…

恵比寿にあった酒販組合の施設に何泊か泊まる予約をして東京まで、オーディションを受けに行く。
人生初めての東京である。
奈良生まれ奈良育ちの私にとっては、めちゃくちゃ都会なのだが臆する事なく意気揚々とオーディション会場に向かった。

とにかく、バットマン(脚を高く上げる)が多い振り付けで私の得意とする振りだった。
例のごとく、神様が降りてくる瞬間を感じ、私はコレはイケる!っと確信して家路に着いた。
結果は合格。

本当に嬉しかった。
初めてのオーディションで勝ちとった新しい世界への一歩。
天王洲アイルでの長期公演。
付けマツゲの舞台メイク、総スパンコールのドレス、羽根扇、ラインダンスのダルマ衣装、背負い羽根…
私の憧れが詰まった舞台。

宝塚には入れなかったけど、目の前にはキラキラしたレビューショーの世界がある。なんて幸せ…と思ったのも束の間。

夢の世界の裏には血の滲むような現実が。
もちろん私も例外ではなかった。

人生そんなに甘くないのである。
自分の出来なさを思い知り涙する毎日。
何にもできない…与えられた振りすら出来ない。一歩動いても、「違ーう!!」と怒られ毎日半泣き状態で、ヘトヘトになるまでお稽古して貰った。先輩方は本当に素晴らしかった。
付き合ってくれる仲間も本当にありがたかった。
この公演のオーディションを受けて合格した仲間が5人いたのだが、この時以来、本当にご縁があり、この先何年も同じ仕事で出会ったり、お世話になることになる。

当時放送されていた、お昼の有名なテレビ番組の密着取材も入る事になり、稽古場から初日までインタビューを受けたりテレビカメラに追い回された。

本当に良い経験をさせてもらえた公演だった。

ただ…
ラインダンスは本当にキツかった。
しかもSKDのラインダンスは名物なので、めちゃくちゃ稽古がキツかった。曲が早くて脚を上げると言うより早く上げて、素早くおろさなければ間に合わないのである。下ろす方に揃える神経と力を使うのだ。見るのとやるのは大違いである。

あと…羽根扇の大誤算。
稽古場では素手で持って踊るので、普通に踊れるのだが、舞台稽古で初めて本番通りの衣装を着た時の衝撃的事実!
白い長いシルクのような質感の手袋をはめるのだが、コレがめちゃくちゃ滑る滑る。羽根扇を持って踊ると、腱鞘炎になるくらい力を入れて持たないと風圧もかかり飛んでいくのである。あんなに優雅に見える羽根扇なのに…
経験してみないと分からない事が沢山あるんだなと思った。

こうして、初めてだらけの憧れ詰め合わせスペシャルのような経験をさせて貰って、私の舞台人生が始まったのである。

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