明治時代に成功した人たち

明治時代初期は、政府も資本主義経済(ビジネス)も、まだ最初の手探りの時期であった。そのため、現在とは成功する人たちは違っていた。現在も、学歴なしで成功する人はいるにはいるが、かなり少ない。一方で、明治時代初期には大学はまだなかった。もちろん、藩校や私塾で学問を研鑽する人は多かった。明治時代の英雄たちも、藩校や私塾で蘭学や英語などを学んだのだ。そうした教養も重要ではあったが、それ以上に重要なものがあった。それは、藩閥(地縁)だ。

明治時代は、薩摩藩・長州藩出身者が頂点に立つ社会であった。薩長土肥と、土佐藩と肥前(佐賀藩)を入れることもある。初期の明治政府のリーダー役であった大久保利通は薩摩藩だ。西郷隆盛も薩摩藩。伊藤博文は長州藩。黒田清隆は薩摩藩。結局、薩長でないと明治政府のトップに立つことはできなかった。

ビジネスの世界では、江戸時代からの豪商が引き続き活躍した。三井財閥の源流は三井高俊が伊勢(現在の三重県松阪市)に質屋をつくったのが始まりとされる。その後三井家は江戸に出て越後屋三井呉服店(現在の三越)を始める。明治に入ると、三井家は三井銀行や三井物産を創業した。住友財閥の源流はもっと古い。室町時代、京都で南蛮吹きという銅精錬を行っていたのが源流とされる。その後、住友家は愛媛県新居浜市にある別子銅山の開発を行った。鉱山開発の会社は現在の住友金属鉱山であり、ほかにも住友化学や住友重機械工業などが生まれる素地がすでに明治時代にはあったのだ。

三菱財閥だけは、三井・住友とは異なっている。岩崎弥太郎が「明治政府は藩札を買い上げて統一貨幣をつくる」という情報をいち早く察知して、藩札を買い占め、それを政府に売ることで巨万の富を得たのが始まりだ。岩崎は土佐藩の海運業を引き継ぎ、海運業でも活躍した。いわば、政府や藩とのつながりでビジネスをおこした「政商」だったのである。

福沢諭吉は、他の成功者とはかなり異なる。学問の力で成り上がった人だ。福沢は、中津藩の大坂にある蔵屋敷で生まれた。福沢は下級藩士の身分であったが、学問に精力的に取り組んだ。その後、1860年(まだ江戸時代)、福沢は幕府の米国使節団に加わることになる。この時、木村摂津守という人物と友人関係になる。木村の推薦で福沢は幕府外交の仕事もするようになる。芝・新銭座に慶應義塾開学の土地を用意してくれたのも木村だ。木村との交友関係のおかげで成功したともいえるが、そもそも幕府使節団に選ばれたのは、福沢が語学力をはじめ、学問に精通していたからである。

明治時代の成功者たちは、基本的には薩長土肥の関係者(特に薩長)もしくは江戸時代からの豪商だ。福沢諭吉だけは薩長土肥以外での成功者ということになる。岩崎弥太郎は、土佐藩関係者であったことと、情報察知の能力の高さのおかげで三菱財閥の祖となることができた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?