青、渋谷、新江古田

男は青のワンボックスカーに乗っていると言った。渋谷の公園通り沿いの指定された場所へ、私はスマホの地図を見ながら向かった。私は車の種類なんてわからないけれど、鮮やかな青色が目の前を通り過ぎて行った瞬間、すぐにそれだと気がついた。私は恐る恐る近づいて助手席のドアの窓を叩いた。

そこには目つきの悪い、素朴な見た目の男がだらしないTシャツ姿で座っていた。髪には金色が入っていた。
予定では男の住む新江古田まで電車で向かってそこで落ち合うつもりだったが、急に男が車で迎えに行くと言い出した。重い仕事用のパソコンを背負って歩くのは少々面倒だったので、私はそれに乗っかった。

「散歩しようって話だったけど今日風強いし、ドライブにする?高速乗って、うまいラーメン屋があるんだけど」
「ラーメンは食べたいけど高速にはあまり乗りたくない。車酔いするから。でも、あなたが決めていいよ」
「車酔いするならやめよう」
私たちは約束通り新江古田に向かうことにした。車に乗りながら、短い会話のやりとりを何度か交わした。
「人見知り全然しない人?」
「するよ。してるよ」
「じゃあ人見知りしない人の演技が上手いんだ。俺と同じ」
私は男の顔を見なかった。車の中から見える、高速で過ぎていく風景だけを目に映していた。

車を降りて外の空気を吸って、かなり開放された気分になった。男はレンタカーの鍵を閉めたか何度かチェックしていた。
「ご飯食べる?」
「そうしようか。何かこの辺にないの?お店」
「あるけど。家でデリバリーでよくない?」
「家は嫌。人の家って苦手なの。心を許してない人の家は居心地が悪い」
私は男の誘いを断って、外のお店で男と食事を取ることにした。男は何度か家でデリバリーでいいじゃんとぶつぶつ言っていたが、無視した。ハンバーグが有名な洋食屋さんに入った。広いテーブルに向かい合わせで座った。男と向き合った途端、私は目を泳がせる。
「人見知りって言ってたの、今ならわかるかも」
「対面ってあまり得意じゃない」
「カウンター席にすればよかったね」
二人でハンバーグセットを注文した。私は料理が運ばれてくるまで、気持ちを紛らわすために煙草を吸った。その動作さえぎこちなかった。

煙草を吸っている間にサラダとスープが運ばれてきた。男は先に黙々と食べ進める。私は短くなった寿命の少ない煙草を存分に吸って、流れる煙を見つめた。やがてハンバーグとライスが運ばれてきた。

私はおぼつかない手でナイフとフォークを使って少しずつデミグラスソースがたっぷりかかった肉の塊を食べ進めた。食欲はなかったが、私はこれを食べ切らなければならない。

男とたまに会話をした。ここでもその会話一つ一つが短かった。話をしながらなんとなく、この男は私に対して興味がないのだろうと思った。見ているものは上辺だけ。
「インスタ教えてよ」
「別にいいけど、全然写真上げてないよ」
男に言われて私はインスタのアカウントを教えた。
「本当だ。フォローするから、これから写真上げてってよ」
「それは何か、意味がありますか?」
「意味なんてないよ。ただ俺が見たいだけ」
「そう」
「意味が好きなんだね」
「そうかもしれません」
「俺は意味はあまり好きじゃない。意味はただの枠だから」
「じゃああなたは何が好きなの?」
「無意味」

食後のアイスコーヒーが体に染みた。私はまた煙草を一本取り出して吸う。この男は煙草を今は吸わないらしい。なんとなくゆっくりする必要もないと感じた私は、残りのアイスコーヒーを一気に流し込んだ。

店を出て、どうしたものかと考えた。帰ってしまいたいが、なんとなく気が引けた。
「いい感じに無意味だったでしょう?」
「は?え?なに言ってんの?」
「あなたは無意味が好きなんでしょう?だったらそれなりにいい時間を提供できたんじゃないのかな」
男はなにも言わなかった。駅の前まで来て、私は悩みながらも体をそちらに向かわせた。
「え、帰んの?」
「帰らないの?まあどっちでもいいけど、何するの?」
「家に来なよ」
「家には行かない」
少し考えた私は、歩きましょうかと言って細い道へと入って行った。目的地などない。ただ歩きたかった。夜の空気を吸って、微かに聞こえる虫の声に耳を澄ませて、ただ足を前後に動かす。
「ここ、俺の家」
少し歩いたところで、質素な古いアパートを指差して男が言った。
「そう。それじゃ」
「え。本当に帰んの?家に入ろうなんて言ってないじゃん」
「じゃあもう少し歩こうかな。あ、公園だ」
わたしは近くにあった広い公園に入った。中では男子高校生の集団が楽しそうに話をしていた。私は体をくるりと回転させながら公園を見渡して歩いていたけど、男は後ろからついてくるだけで何も言葉を発さなかった。公園での時間はすぐに終わってしまった。周りを一周してまた男のアパートの前に辿り着いた。
「家来なよ」
「家には行かない」
「居心地いいよ」
「そりゃあなたはね。私はそうじゃないの」
「来なよ」
「私は行かないよ。バイバイ」
私は明るい声でそう言って、両手を大きく振って男に別れを告げた。背後から聞こえた男の「つまんないの」という声を無視して大股で歩き出した。気持ちがいい。一人で歩く一人の道は、気分がいい。

「しょうもな」
私は笑いながら地面に転がった小さい石ころを蹴飛ばした。カツンとどこかに当たった。男は無意味が好きだと言っていたけど、求めているのは意味そのものだった。

大江戸線に乗るのは生まれて初めてだった。知らない電車に乗るのは面白い。車なんかなくたって、私は一人で電車に乗ってどこにだって行けるのだ。

私はもう、青いワンボックスカーには乗らない。


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