全頭型円形脱毛症になった話

時は遡ること3年前、大学3年の冬、21歳だった。それは唐突に訪れた。
最近やたら頭痒いな〜毛が抜けるな〜くらいにしか思っていなかった。たまにめちゃくちゃ毛が抜ける時期ってあるし、すぐ終わるだろうと思っていた。少し不安になって調べても、寒いし乾燥してるからか〜と納得し、楽観的だった。

でもそれは止まる気配が全くなくて、友達に抜け毛やばいんだよね〜と話しながら後頭部を見てもらったら、なんとハゲていた。500円玉より少し大きいくらいの円形脱毛症になっていた。後ろ側だったので自分では見ることができず、友達が撮ってくれた写真を確認したが、なんとやはりハゲていた。わたしは焦って、研究室を早めに上がってすぐに病院を探して電車に乗った。
人目が気になってそわそわしていたわたしはすぐさまスリーコインズで適当にニット帽を買い、病院の門を叩いた。
焦りすぎて気付かなかったのか、今日は皮膚科の先生はお休みですと言われ、内科の先生に診てもらった。
円形だね〜と言われて、三ヶ月前くらいに何かストレス感じたことがあったかどうか聞かれたけれど、これと言ったものは思いつかなくて、あるとしたら研究室に配属して環境が変わったこととか、就活に焦りを感じていたくらいだった。
わたしは泣きながら「治りますか?」と聞いた。医者は「治るよ大丈夫」と言って、あまり気にしすぎないようにね、と血行をよくする薬をくれた。

もらった薬を飲んでいたが、それでも抜け毛は止まる気配が本当に全くなくて、わたしはものすごく焦って怖くて、泣きながらまた別の皮膚科の病院に行った。
そこの先生はわたしの脱毛斑のサイズを測って、測ったはいいが「頭掻いたりしたんでしょ」など適当にあしらわれ、否定すると「無自覚に掻いてるんだよ」などと決めつけて面倒臭そうに言われ、そんなわけあるはずないのに、そんなふうな対応をされたのが悲しくて悔しくて涙が止まらなくて、そんなわたしに「薬もらってるならそれ使って、何も出せないから」などと言い、早く出て行けという医者の気持ちが嫌ほど伝わってきて、病院のカードを作ってもらったけど捨てた。本当はその場でいらないですと言いたいくらい悔しかった。

結局抜け毛は全く止まらなくて、わたしはよく見えない自分の後頭部をずっと気にしながら生活していて、春休みの2月には実家に帰った。
部屋でもニット帽姿のわたしに「かっこいいね」と言う父親に向かって、わたしは嫌味かと思いながら震える声で「ハゲてるから」と呟いた。父親は笑いながら嘘だろうなどと言ったので、本当だよと涙目で言いながら帽子を取った。父親の表情が強張る。辛くて辛くてどうしようもなかった。

父親が、自身が働く大学病院の皮膚科の先生の紹介状を書いてくれた。希望だった。しかしその先生が、わたしを診る前に、そんなに酷いなら東京医科大学病院にいい先生がいると教えてくれたので、紹介状は無いが、もうわたしはとにかくできればいい先生に診てもらいたかったので、出費が痛いがそこにかかることにした。

大学病院の先生は慣れた手つきでわたしの頭部を触って様子を見て、脱毛斑何個かあるね、これは止まらないかもね、などと言うので絶望していたが、脱毛症のことについて詳しく話してくれた。わたしは急速進行型の全頭型円形脱毛症だった。円形脱毛症には程度があって、軽いものは単発型の円形、よく言う十円ハゲ。そこから多発型の円形、脱毛斑が複数できている状態。それが広がって、頭全体から毛が抜けてしまう、全頭型。わたしはそれだった。さらに酷いものだとやがて睫毛、眉毛が抜けてさらに全身の毛が抜け落ちてしまう汎発型。どうせなら腋毛とか抜けてくれよ、なんで髪の毛なんだ。

ストレスがきっかけになるとは言われているが、原因は不明で、自己免疫疾患としか言えないらしい。1、2割は完治、6、7割再発、1、2割は治らないらしい。それを聞いてさらに絶望だった。原因もわからないと自分の状態に納得もできないし、対策も何もできない。治るとはっきり言われないことも、辛かった。
「でも短い毛が生えてきてるよ。治りそうだな」
血液検査をして、先生は頭皮に塗る薬と、皮膚の炎症を抑える飲み薬を処方してくれて、さらに薬局で売っているリアップ使いな、と市販の発毛剤を教えてくれた。

そこからは毎日頭に薬を塗る日々だった。ツイッターで「21にして発毛剤を買う女」とつぶやこうとしてやめた。抜け毛は止まらないし、床は髪の毛いっぱいで、ふとした時に毛が落ちてくると落ち込む。特に抜けていたのは頭のてっぺんの方だったので、わたしは毎日ニット帽を被って研究室に行っていた。顔まわりの毛が残っていたのはせめてもの救いだった。

正直就活どころではなかった。帽子をかぶって説明会になど行けないし、そもそも行く気もしなかった。わたしはウィッグを探し求めていたが、お店に行くと正直ダサいものしかなくて、その上値段が馬鹿高い。試しに被らせてもらうと、髪の毛ボーボーの若い女が高い声で「似合ってますよぉ〜」と言ってくるのも屈辱的で結局買わずにネットで探し回った。最初に買ったウィッグは被ると不自然だしキツすぎるしとても使えなくてまた絶望していた。試着できるところがいい。そしてやっと見つけた。リネアストリア。種類が豊富で脱毛症向けのものも可愛かったうえに東京のサロンで試着ができる。すぐに予約をして、行った。

人毛と人工毛ミックスの、ボブヘアーのウィッグを買った。多少不自然さはあるが、これなら、と思えた。ウィッグカットをしてくれる美容院を教えてもらいすぐに予約した。やっと少し安心した。ニット帽生活にも限界がある。

脱毛斑に気づいた1月から、3月になる頃には髪の毛がほとんどなくなっていて、バーコードという表現がしっくりきた。ここまでくるとどうしようもなくて、わたしは自ら毛を抜いていた。というか、髪を手ぐしで触るだけで簡単に抜けるのだ。寂しく残っている毛を見るのも辛かったので、全部抜いてしまおうと思った。どうせ抜けるし。毎日毎日髪を手で触り髪の毛を抜いていった。人生で坊主になる日が来るとは思わなかった。自分の頭の形を知った。全て毛が抜けると、確かにぽつぽつと新しい毛が生えてきているのがわかった。それがものすごくすごく嬉しかった。

毎日頭部に薬を塗って、振りかけて、鏡を二つ使って確認して、スマホを頭の後ろに掲げて撮影して、毎日毎日頭の様子を観察した。就活をする気は全くなくなっていた。髪の毛が生えていることの方が大事だ。わたしはネットで同じ脱毛症の人を探して、その人の完治までの記録を見て希望を持って生き延びていた。きっと生えると。それまでの辛抱。薬で肌はニキビだらけで荒れまくりで、もう汚くて醜くて悲しくて毎日鏡を見るのが嫌だったけれど、毎日写真を撮って、髪が少しでも伸びているとわかると少しだけ安心した。髪の毛の成長記録をつけることだけが楽しみだった。

4月、春休みが終わり、新学期の説明会で大学に行かなければならなかった。わたしは初めてウィッグを被って大学に行った。カットしてもらって不自然さは減ったし、友達にも見てもらって平気と言ってもらえたし、最近はおしゃれでウィッグを被る人もいるから大丈夫、という言葉を信じて、怖がりながらも家を出た。春風が憎らしかった。わたしは頭を押さえながら、人目を気にしながら道を歩く。変じゃないだろうか。さっきものすごく頭を見られていたような気がする。ずれてるのかな。やっぱり変なのだろうか。気付かれているのだろうか。

大学に着いて同じ学科の友達に会った。一人には脱毛症のことを話していたが、もう一人には話していなかった。その話していなかった方の友達が、ものすごく、あからさまにわたしの頭を見てきた。何。なんなんだ。やめてくれ。
後で聞いた話だが、事情を知っていた方の友達がその子にわたしが脱毛症であることを話したらしかった。軽い気持ちで。その頃はこんなことになると思ってなかったしごめんと言われたが、こんなにしんどい思いをしていたのに軽く見られていたことに少し傷ついた。デリケートな話題を簡単に人に話す友達にも、脱毛症と聞いて面白がってじろじろ見てくる無神経な友達にも、少しうんざりしてしまった。

教室に入り、友達が前の方の席に座るのに付き合った。わたしは後ろに人が座っているのが怖くて怖くて、早く教室を出たかった。見られているんじゃないか。気付かれるんじゃないか。とにかくそればかりが気になって、説明が終わると誰よりも早く教室を出た。人がたくさんいるところは怖い。

わたしは就活で、と言い訳をして研究室にほぼ顔を出さず、実際には就活もろくにせずただ家にいた。大学の知り合いに会いたくない。とにかく人の目線がこわかった。ウィッグもずっと被っていると頭が痛くなるし、極力身につけたくなかった。薬漬けの日々。病院に月一で通って、生えてるね〜順調と言われて安心して、でもすぐに髪の毛が伸びてくるわけもなくて、ただ小さい成長に毎日毎日祈りながら寝ていた。

脱毛症になって変わったことと言えば、家族のわたしに対する態度だった。みんながわたしに優しくなった。わたしが病んで辛くてどうしようもない時、感情を言葉にすると「メンヘラ乙」と馬鹿にしてきた姉も、わたしが就活したくないと悩んでいたことに対して、あの時は悪かったなどと謝ってきた。前に就活の話を姉とした時、わたしが不満をぶちまけると姉はキレながら、甘えるなみたいなことを言い、そしてわたしが死ぬほど泣きじゃくるという出来事があった。ちょうど脱毛発症前のことだったので、姉は自分にも原因があると少し思ったのかもしれない。今までわたしが何を言ってもすぐ否定して聞き入れなかった両親も、可哀想だとか、辛いことがあったんだなみたいな、そんなようなことを言ってきて、やたら心配して金を渡してきたりした。ああ、人は目に見えるものしか信じないのだなと思った。わたしは今までだって気持ちを伝えてきたつもりだった。でもそれは全然信じてもらえてなくて、わたしが今まで発してきた言葉に意味はなくて、こうやって目に見える形になって初めて優しくされても、どう受けとればいいかわからなかった。くだらなくて、わたしはそんな家族に嫌気がさした。もっと早く優しくしてくれよ。最初から優しくしてくれ。

一応、何社か面接を受けた。わたしはウィッグがバレないか不安で不安で仕方なかった。脱毛症であることはイメージが悪くないか。ストレスに弱そうな印象。実際弱いのだが。
もともと精神を病みやすい体質であるのに、脱毛症になったことはそれに拍車を掛けた。わたしは自分が可哀想だと思った。ただでさえ何も持っていない人間なのに、そんなわたしから髪の毛を奪わないでくれと思った。もっといろんなものいっぱい持ってる人いるじゃん。なんでわたしなんだ。髪は女の命ですとはよく言ったものだ。ちなみに女じゃなくてもハゲは辛いと思う。小学生の頃、友達にハゲの大人がいるとハゲハゲ言ってやたら笑っていた女の子がいたが、ハゲは笑っていいものじゃない。深刻だ。失いたくて髪の毛を失ったわけじゃないのだ。

外に出ると普通の人が普通に楽しそうにしていて、髪の毛が生えていていいなあと思った。夏はウィッグが蒸れて苦痛だった。髪の毛は少しずつ生えて、伸びてきていて、毎日早く伸びないかなと希望を込めて薬を塗った。ウィッグを外せるようになるのはいつだろう。早く快適に過ごしたい。

秋頃、わたしにはちゃんと髪の毛が生えてきていた。まだ坊主に毛が生えたくらいのものだが伸びてるところは伸びている。ハゲではなくなっていた。とてもウィッグは外せないが、その時のわたしにとって、毛が生えていることは何よりも幸福だった。撮りためた写真と見比べて、こんなにも伸びた!すごい!と喜んでいた。医者も順調だねと言ってくれた。わたしは髪の毛が生えていることで喜ぶことができる稀な女だ。ハゲ生活も楽しもうと思ってウィッグを複数購入した。ロングだったり金髪だったり。人毛の入っているものは高くて買えないので、人工毛のものをいくつか買ったが、やはり不自然さがあって結局あまり使わなかった。それでもウィッグの新作が出たらチェックして、すこしでも楽しもうとしていた。絶望の中でもワクワクしていたかった。

10月、二人いるうちの一番上の姉が結婚した。会場でヘアメイクをしてもらえると聞いたが、わたしは断った。ウィッグに跡が付いたら困る。二番目の姉は式場でヘアメイクを施してもらい、長い髪をバリバリに巻いていた。その姿を見て親戚が「すごいエレガントね〜素敵!」などと言うのに対し、わたしに対しては大したリアクションも無く、「なんというか…いつも通りね」と言った。悪かったな。

ウィッグもずっとつけているとだんだん馴染んできて、違和感は減っていった。もみあげ部分にも髪が少し生えてきていたので、割と自然に見えるようになった。就活もなんとか終わって研究室に毎日ウィッグをつけて通っていた。夏も終わったし、慣れればそこまで苦痛にはならなかった。
髪も弱々しいが伸びてきていて、わたしは頭を触って髪の毛があることを実感して、嬉しくなっていた。もう少し。卒業式までにウィッグが外せるようになればいいなあと思っていたが、なかなか難しそうではあった。最初に抜けた部分は伸びてきていても、後から抜けた部分は短かったりして、長さを揃えるとなると相当短くなってしまうし、ボリュームもなさすぎる。
ウィッグもボロボロになってきたので、普段使いできるよう人毛ミックスのショートのウィッグを買って備えた。こちらも美容院でカットしてもらい、かなり自然な感じにしてもらえた。ウィッグを変えて髪の毛切ったの〜?と聞かれるのが嫌で卒業間際までボブのウィッグを使い続けた。

卒業式の朝、着付けがあるので早起きして新しいショートのウィッグを被り大学へ向かった。髪の毛どうしますか?と聞かれ、ぼそぼそと「ウィッグなので簡単なもので」と答えた。女は「なんでウィッグなんですか〜?」と無神経に聞いてきた。「ハゲてるからです」と答えた。それは想像できないものなのだろうか。わざわざわたしの口から答えなければいけないものなのだろうか。それでも若干苦戦しながらも可愛くピンをつけてもらえて、お姉さんに感謝した。黒い着物に赤い花飾りが良い感じに合っていた。友達とたくさん写真を撮った。見てみるとやっぱりウィッグだなあ、と思ってしまって、地毛だったらなあ、と思ってしまったけれど、それでもたくさん褒めてもらえたし、とりあえず無事乗り切った。

4月から働き出したが、やっぱりまだウィッグは外せなかった。朝から夜までウィッグを付けているのは苦行だったが、髪の毛のセットをせずに済むのは楽だった。
研修で一緒だった子に、「髪の毛すごい綺麗〜!シャンプー何使ってるの?」と聞かれ、「あ、これウィッグです、脱毛症なんで」と馬鹿正直に答えた。そうです。髪の毛が綺麗なのは人工物だからです。そのあとから女の子たちの態度が変わったような気がしないでもないが、特に何も気にしなかった。

だんだん、ウィッグを被る時、生えた髪の毛をネットにしまうのが面倒になってきた。それくらいには髪の毛が生えていた。長さがまばらで長いところは長くて短いところはやっぱり短いが、夏にウィッグを付けて過ごすのは嫌だなと思っていたので、わたしはウィッグを外すことを決意した。屈辱的な思いをしたくないので、どこの美容院に行くか死ぬほど悩んで、どうせ行くならいいとこに行こうと代官山のバチクソお洒落なイケイケな美容院を予約した。フォームに事情を書いて、断られたらどうしようと思ったが無事に予約できた。不安もあったがなんだか生まれ変われるような気がして楽しみだった。

7月、脱毛症になって一年半。わたしは代官山に向かった。やたら洒落た街で洒落た美容院で、入口が合ってるのかすらわからなかった。案内され、席に座りわたしが恐る恐るウィッグを外すと、洒落たベテラン美容師が、わたしの髪の毛の様子を見ながら、全然いけるよ!と言ってくれた。同い年の女の子がわたしの髪をシャンプーしながら、髪は女の命って本当ですよねなんてことを言うので、それで言うとわたしは一回死んでるんだがと思いつつ、明るく「本当そうですよ!」と言ってみせた。先程の洒落たベテラン美容師は、とりあえず髪型として形になればいいです、いい感じにしてくださいという曖昧なオーダーを快く引き受けてくれた。短い部分に長さを合わせるので、せっかく伸びた髪の毛が切られるのは少し悲しい気もしたが、かなり量は少ないがベリーベリーベリーショートという感じのベリーショートになった。変じゃないですか?と思わず聞いてしまったが、めちゃくちゃいい感じだよ!全然変じゃないよ!とめちゃくちゃ褒めてくれたので嬉しかった。しばらく伸ばしてあともう一回整えに来てくれればもう平気だと思う、もうウィッグ捨てちゃいなよ!と言われ、わたしはその美容師にめちゃくちゃ感謝して美容院を出た。駅の人混みを歩いてる間本当に大丈夫だろうかと心配になった。頭に何も身につけずに外を歩くのが久しぶりすぎてめちゃくちゃそわそわしたが、誰もわたしを見ない。変じゃない。スースーする頭を気にしながらも気持ちが良かった。地毛で外を歩いている。わたしには髪の毛が生えている。わたしはもう、普通に外を歩ける。

そして地毛で初めて職場に行った。こんな短い髪の毛を見て何か言われたらどうしようと思ったが一部の人間にどうしたの?女バレみたい!だとか言われただけだった。別に変じゃない。もう髪の毛を気にしなくていいのだ。周りの目を気にしなくていいのだ。堂々と街を歩けるのだ。頭に何も被らなくていいのだ。隠さなくていいのだ。

何も身につけていない頭は軽くて、視界が広くて、清々しかった。
それからさらに一年半ほど経った今、わたしの髪は肩まで伸びて、最近は思い切って髪を染めてみた。全て抜け落ちたあと新しく生えてきた髪は昔のようにさらさらではなくて、質がいいとは言えないが、しっかりとした毛が生えている。もちろん弱々しい毛も生えているし、未だに頭皮が痛んだり、痒くなったり、髪の毛が短い部分もあるが、アイロンをすることもワックスをつけることもできるし、わたしは髪の毛が生えていることを楽しんでいる。

今、脱毛症の人には酷かもしれないが、髪の毛が抜けてよかったことなんて正直ひとつもない。髪の毛はある方がいい。無いことは決してダメではないし悪いことでもないが、あるに越したことはない。何より抜けていくのは辛いし、わたしはあの地獄に二度と戻りたくないと思う。よく生きていたと思うし、再発したら次こそ自殺する気もする。
そんなの大袈裟だとか、命に関わる病気じゃなくてよかったじゃないかと言われたこともあるが、生きてはいけるが普通の人が当たり前に持っているものを失って生きていかなければならないのは死ぬほど苦行なのだ。昔から、神経性頻尿とか、空気嚥下症とか、自律神経失調症とか、死にはしないが日常生活に支障が出る病気になることが多かった。生きることはできるから、周りにはこの苦しみはわかりづらいし、だったらいっそ癌とかになった方がマシだと思うこともあった。その方が諦めがつく気が当時はしていた。この気持ちがわからない人は一度自分の髪の毛を全部抜いてみるといい。それだと今後一生生えないかもしれないという不安を味わうことができないので、永久脱毛してみて欲しい。

今脱毛症の話ができるのも、今わたしに髪の毛が生えているからだ。治っていなかったら、わたしは口を閉ざして毎日部屋に篭ってきっと何もしていないと思うし生きていたかすらわからない。人に会うのが怖いしどんどん自信がなくなるし、仕事をしていなかったと思うし人と向き合おうともきっとしなかった。脱毛症になると普通に生きていたら決して体験できない、普通の人がわからない感覚が味わえます。試してみたい方は是非。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?