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毎日投稿4日目。今日の夕方、沖縄本島から石垣島に移動。本島も暖かいけど石垣はさらに暑く曇りで27度近くあった。4月からはこの石垣島で絵本に出てくるような土壁の家でできた村作りが始まる。予定。

今日は不登校時代の話の続きを書こう。学校に行ってなかったと言ってまず聞かれるのが学校に行ってない間何をしていたのかということだが、私は午前中は基本母親とテレビを見て過ごしていた。本当は外に遊びに行きたいのだが当時はまだ不登校の子供は珍しく住んでいた場所も田舎だったこともあり、1人では学校がやっている時間は外に遊びに行けなかった。下校時間になり、同級生たちが完全に下校仕切った頃にやっと自由になった気分になり外に遊びに出かけていた。そういえば午前中は必ずお腹が痛くなったり気分が悪くなり、学校をズル休みした分苦しんでいなければいけないような気がしていた。

そんな日々の中で救いだったのは一緒に遊ぶ兄弟と、毎日放課後に遊びに来てくれる親友の中山くんがいてくれたことだ。中山くんは毎日、土日は律儀に必ず電話をこちらにしてから遊びに来てくれていた。土日の昼過ぎにかかってくる中山くんからの電話を何よりも楽しみに当時は生きていた。今思えばもし中山くんがいなかったら随分と寂しい少年時代を過ごしていたと思う。中山くんがいてくれたおかげで学校に行ってなくても友達との思い出は沢山思い出すことができる。私は今では学校に行かなくても幸せに楽しく生きていけることを知っているし、むしろ学校に行かずに自分の内面とじっくり向き合うことができてよかったと思っているが、学校に行かないことで友達ができずらいことはとても勿体無いと思っている。私は小学校3年から高校入学まで6年間学校に行っていなかったが、授業を受けないことで苦労した記憶はない。本当にひとつもない。それよりも何よりも大きかったのは6年間で蓄積された他人に対する罪悪感と劣等感だった。つまりとにかく何をするにも自分に自信が持てなかった。人と会う時も、何かに挑戦するときも、とにかく怖くてたまらなかった。ずっと隠れて自分の世界にこもっていたかった。

結局自分のことを誰よりも強く、誰よりも早く否定していた。そうすることにより実際に誰かに否定されることの恐怖を「私がダメなのはもう十分わかってますよ」と先回りすることでショックを軽くしようとしていたのかもしれない。私は誰かに傷つけられるのが怖くて勝手に1人で傷ついていた。

なんだか書いていて当時の自分の心境を思い出して切なくなってきた。そんなに自分をいじめないであげてほしい。あなたは多くの人に愛されているし、遠くない未来そのことに気づける日が来るから。

今日はこのへんでやめとこう!

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