見出し画像

ただ空白を暮す

 ただ鬱々と、同じ日々を繰り返す。

目が覚めて頭の痛さに目を背けつつ、スマホを開いて今日も大学かバイトかと暗い気持ちになり、ぼーっとこなすうちに夜が来る。

明日が来るのが怖くて、なかなか寝付けずただ夜が更けていく。

やっと眠れたかと思ってもずっと浅瀬にいるため、幾度となく目が覚めてしまう。

もはや今は眠っているのか、起きている状態なのかわからずただただ辛く苦しい。

あまりのストレスで大声で叫んでやろうかと何度も思ったが、ただ枕に顔を強く押し当てて唸ることしか出来なかった。

そんな日々を送っていたら体がおかしくなっていた。

適応障害だった。

 大学四年生となり就職活動と卒業研究に踊らされる毎日を送っていた。

卒業研究では各々ゼミに配属され、1年間少人数の活動が行われる。

初回の授業で指定された教室へと向かうと、既にできあがったコミュニティで盛り上がっていた。それはもう嘘みたいに。

僕はコロナ禍での友達作りを怠ったため、大学に友達はいない。SNS上で仲良くなったとしても、実際に会わなきゃ気が合うかなんてわかんないだろ、と斜めに見ている間に気づけば四年間ひとりだった。

既にできあがったコミュニティの中に入れるわけもなく、ただ肩身の狭い思いで空いた席に座って教授を待った。

こういうとき机に突っ伏したり、スマホをいじったりするのは1人活動初級者のやることだ。上級者ともなると「あれ、そういえば今日必要なもの持ってきたっけ」みたいな顔をして、リュックの中を漁ることで時間を潰す。潰すというよりはもはや「弄ぶ」ことができる。

今回も例に洩れず弄んでいると教授が入ってきた。事務的に今後の予定を説明し、事務的に回収物を集め、事務的に各々に研究したいことを尋ね、事務的に帰って行った。冷たかった。

結局その日は後ろの席に座っていた子と一言だけ交わして帰った。

次の週も同じように集まり、毎週各々資料を読んできてもらって発表してもらう、という説明をされた。早速資料を渡され、持ち帰り1週間かけて読みまとめた。

次の週、まとめたものを持って行き発表すると教授から「今までなにしてきたの?」といった急所を的確に射貫く質問をされた。むしろ僕自身が知りたかった。

翌日からまた次の週の発表に関する資料を読み始めた。案の定よく分からなかったので、教授に質問しようとした。ただボロクソに詰められるだけだった。

だんだんと次の週が怖くなり、ゼミ終わりが1番幸せでそっからは下降気味な1週間を送るようになった。

ここに就職活動という言葉がのしかかる。

毎日のように送られてくるマイナビや大学からのメール。

友人と会えば、エントリーシートがどうとか次は何次面接だとかいう話が頭上を飛び交う。

俳優やドラえもんが宣伝する就活イベント。お前就活してないだろと思った。

就活に乗じたスーツの販促や絶対に受かる!面接テクニック!みたいな本。吐き気がした。

なんでみんなこんなに普通に就活ができて、世の中はそれを持ち上げているのかよくわからなかった。

人生の一大イベントみたいな位置づけにしてるのに、電車の広告は転職関係のものばかりなのが理解できなかった。

大学への浪人は許されるのに社会への浪人はなぜ許されないのだろう。

まだ世の中のことをちゃんと見てないのに、知らないのに、自分のやりたいことを分かったふりをして就活しなきゃいけないんだろう。

僕はただ怖かった。

 このゼミと就活という存在が僕の小さな心をチクチクとむしばみ続けた。

だんだんと毎日から色を奪い、朝起きるのを憂鬱にし、夜眠るのを阻んだ。

これまでは漠然と見えていたきらきらとした未来が完全に見えなくなり、ただ息苦しくなった。

人生で初めて頭の隅に「詰み」という言葉が過ぎった。

 話は少しずれるが、昔から他人の言葉や動きに過敏に反応してしまう性格だった。

近くに機嫌の悪い人がいれば、自分のせいなんじゃないかと鼓動が速くなる。

飲みの席で言った一言で一瞬相手の顔が濁った気がすれば、それを次の日もその次の日も大丈夫だったかと深く深く考えてしまう。

困っている人を見たとき相手にどう思われるかが怖くて、手を差し伸べることができない上に、その出来事をふとした時に思い出して暗い気持ちになる。

よく言えば周りがよく見えるということだが、悪く言えば異常に気を遣う。

生きづらさがずっと付き纏ってきた。

 そんなゼミと就活の鬱々と生きづらさを手土産に病院へと赴いた。

これまでこの気だるさに何か名前がついてしまったら、頑張って耐えることをやめてしまう気がして行けなかった。

だが今回は既に頑張ることも耐えることもやめてしまいたかった。

生きることすらも嫌いになりかけていたため、最後の砦として行くことに決めた。

そこでこれまでのことを話し、この生きづらさはどうすればなくなるのか助けを請うような気持ちで聞いた。

「世の中は思っている以上に間違ったことばかりだし、そういったことに流されないで自分で考えられることはいいところだよ」

ありきたりな表現だが、胸のつかえが少し取れた気がした。

僕は気だるさの名前と、生きづらさへの肯定をお土産にもらって帰った。

そしてゆっくりと一度立ち止まってみることにした。

 なんとなく勉強させられて、なんとなく高校に入学し、なんとなく勉強をして、なんとなくで大学にも入学した。

ただ世の中の流れに流されて、他人と差が生まれないように必死にもがいて走り続けてきた。

そして今、その流れから初めて外れようとしている。

外れるって言うと少し違うな。

ほどけた靴の紐を結び直すみたいな、もう一度走り出す準備をする時間だ。

これは僕のそして今を生きるすべての人に送る、休むことは悪だという世の中の風潮に抗うお話。

さて、これからどこに行って、何を観ようか。

今はただワクワクと、新しい日々に胸を踊らせている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?