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【後半】公募川柳と落選~落選したときしないこと~

前回のnoteで「落選したときにすること」を書いた。

今回は後編。「落選したときしないこと」について。


■落選したとき、しないこと

落選した時に私がしないこと、「主催者へ文句を言わない」というような当たり前な内容を除けば、1つだけ。

「自分と他人を比較する」ことだ。

ここでいう比較は作品の比較ではなく、人との比較だ。つまり、Aさんと自分の比較。Aさんに負けて悔しい、とかAさんに比べて自分は。。とかの話だ。前回話した通り、「負の感情は、自分を動かすエネルギーにもなるのだから、悪いことばかりじゃない」と思っている。

でも、相手と自分を混同しすぎるのは、しんどい

そもそも、「その公募にどれだけリソースを割くのか」はその人が決めることだ。公募川柳をやっている人に、公募川柳「だけで」ご飯を食べていける人はいないだろう。皆、何らか他の活動範囲があり、その傍らで公募川柳に取り組んでいる。結果発表を見れば、●●賞などの目に見える結果があるが、その裏に存在する「(投句無制限であれば)どれだけの数を投句したのか」「どのくらい時間をかけて作句したのか」あるいは「これまで川柳にどれだけリソースを投じたのか」「どういう人生を歩んできて、どんな経験をしてきたのか」などは目に見えない。

例えば、AさんとBさんが同じ公募に投句して、Aさんが受賞して、Bさんは落選したとする。その場合、AさんはBさんより投句量が3倍だった、とか、Bさんは体調不良でコンディションが悪かった、とか、Bさんはあまり公募川柳で優勝を狙ってなく参加に意義を感じるタイプ、というモチベーションの違い(いわゆるエンジョイ勢)とか、そういう背景は結果から一切見えてこない。見えるのは、Aさんが受賞した、という事実だけだ。「体調不良だから仕方ないよね」とか「いや、体調不良なんて関係ないでしょ」とかという話をしたいわけじゃなくて、そのくらい、投句者の事情は分からず、私たちに見えるのは、結果のみ、ということだ。そもそもそれが公募ではあるのだが、SNSなどを通して交流が活発になった功罪として、意外と忘れがちなポイントだ。

掛けられるリソース(ここでは時間やお金)や目指すゴールが人それぞれで、その中で、「何を目指したいのか」「自分はどうなりたいのか」を決めるのは、あくまで自分なのだ。(自分じぶんうるさい笑)

人と比較しすぎると、自分を見失ってしまう。

■人の受賞報告を見るとへこむ時は

少しセンシティブな話だが、折角なのでさらに切り込んでいく。「入賞報告を見るとへこむ」と感じる時は、自分の心に手をあてて、そっと自衛するのがおすすめだ。

私自身には正直あまり経験がないのだが、「入賞報告を見るとへこむ」というのは賞レースにありがちな気持ちだと思う。自分が悔しいな・悲しいなと思ったときに、上手くいった人の話が目に入るのは、(タイミングによって)しんどく感じる時もあるだろう。別に公募川柳に限った話じゃない。自分が失恋した時に、芸能人の婚約発表を見るのが苦しい。自分の評価はあんまりだったのに、同期のあいつは社長表彰されていた などなど。

人の入賞報告ではへこまない。でも、ちょっと前の私は、(正直に暴露すると)いい感じの子育てポストでへこみがちだった。私は自他共に認めるワンオペ育児ママであるのだが、「夫が~~、いつもはお風呂入れる約束なのに、19時にならないと帰ってこない!」とかいうママ友のポストが目に入ると、「え、普段は19時には帰ってきてくれるってこと?!?」「いつもはパパが子どもをお風呂に入れてくれるってこと!?!?」と羨ましさで発狂していた。
子育てしんどいな辛いなと感じている時に、「子育て超たのしい♡」みたいな投稿を見たら、彼女にあって自分にないもの。。私の子育ての実力。。実力がない。。。みたいにウッとなっていた。

でも、当たり前体操だが、彼女のポストを私が変えることはできないし、望んでない。超楽しんでいる彼女の子育てを、ワンオペ民(私)に配慮させる権利なんてない。

そのため、私がしたことは、「ミュートして視界に入れない」だった。
冷たく感じるかもしれないけど、自衛することは自分の心の健康につながるし、もしかしたら万が一にも羨ましさ爆発で相手を攻撃してしまうリスクを下げる、という意味で言えば、相手を守ることにも通じた。(今はまた私の気持ちが落ち着いたので、普通に交流する仲に戻った)

受賞の話に戻れば、もし視界に入ることで、しんどさを感じるのであれば、相手が自分の期待通りに行動してくれる・変わってくれることを期待するより、自分からそっと離れるのがベストだと思う。相手は自分のために存在するわけじゃないのだ。自分の本当の気持ちは自分しか分からない。無理しちゃダメ絶対

ちなみに、「二ーバーの祈り」は、自分に変えられるものと変えられないものに分けて物事を取らえていて、自分と他者を混同しそうになった時におすすめしたい。私たちは他者と過去を変えることはできない。変えられるのは常に自分と未来だけ。

「神よ、変えられないものを静かに受け入れることのできる強さと変えなくてはならないものを変える勇気そして、変えられないものと変えるべきものを見分ける賢さを与えたまえ」

ラインホルド・ニーバー作「ニーバーの祈り」

■自分にとってのゴールとコース

今日は落選した時にしないことを考えてみた。
あくまで公募川柳に関わる一個人の意見なので、「そういう意見もあるのかあ」位に思ってもらえると幸いだ。

公募川柳には「受賞と落選」という結果が付きまとうものだから、「結果なんてどうでもいいよね!」「参加することに意味がある!」とは私は思わないし、受賞にこだわる姿勢は尊いものだと思っている。でも、『公募川柳』のゴールもコースも自分で決められるものだ。自分が公募川柳に何を求めているのか、何がしたいのか、を見つめれば見つめるほど、他人と自分を比較する必要はないという結論に行きつく。

自分に合った目標やリソースで取り組んでいくのが、無理なく公募川柳を続ける上で大事なのではないだろうか。

公募川柳のために使います。