備忘録



2022年、私はどう生きていきたいかを考えた。

答えは「どうもしたくない。」
あ、悪い意味ではなくて良い意味で。

ーー

私が最近他人から言われる言葉で嬉しかったのは
「前向き」「ポジティブ」と言う2つだった。

でも、私はかなりの根がネガティブ野郎なので違和感しかなかったけれど

他人から見える私は、今そう見えてるんだな。と感じたときに
秋頃の自分はそうなりたかったんだよなあと言う思いに溢れたし
私はそうなれるんだ。とも希望を感じた

母も言うてたが、「過去を振り向く理由なんてない。未来だけみてればいいよ。止まれないんだし」
まさにそうだなと思う。

前向きになったんじゃなくて、未来志向になっただけ
ポジティブになったんじゃなくて、ネガティブばかりだとしんどい事をよく知ってるだけ

そう思うし、なにができるか、できないかではなくて、できることを考える。その癖がついたんだと思う。

そして、何よりも自信がついた。
自分のコンプレックスは1番に障害やったけど
私が言う障害なんて、障害じゃなかったなと思ってしまう。今の仕事に就いたことで、より感じれた感覚だ。

ずっとコンプレックスだった。病名があって、言われてきた言葉がトラウマになってて、私が私の弱さに甘えてた時期を間違いだと思いたくなかったりもした。

でも、どれも、どれもコンプレックスになんて思わなくてよかった事だった。
障害ではなく特性で、特性はその人の持ってる特徴なだけで、どうにでもなると言うこと。
体が弱いこと、内臓によくない部分があることを伝えたとしても、なにも変わらないし、ただただ弱さを実感するだけな行為であること。
私がその障害の情報に囚われることなんて無かったし、情報なんかなくても、私は私と言える強さがあれば良かっただけだ。

コンプレックスだと思ってた見た目も容姿も全て私の個性なのだと言うこと。
女らしさと言う言葉、そのものが差別であること。
私のことを魅力的だと言うてくれる人はおって、価値は高めであったこと。

すべて、社会に出たことで知った。

そして、私は、やっと私を甘えさせることもできるようになった。

不思議だけど、今の私はだいぶ落ち着いた。し、なんだか笑えちゃうくらい強くなった感覚がある。

あと、運が良いと思える。
なんだか、とても、革命が起きたのがここ最近。

ーー

といっても、厄年ならぬ厄にはあたってて笑っちゃう。
だいたいいつも不器用で、上手いこといかんし、糞腹立つし、何回も繰り返したり、失敗しすぎて落ち込んだりもしますが

そんな私の今年は、どんな年にしたいか。

もうそれは決めたくないなあと言うか、なんか決めなくても、悪い方向にも納得いかない方向にも行かない自信がある。
私がそうさせないし、そうなったら、たぶん逃げることをすると思う。

つまりは、前だけみてたら未来は動くし
後ろみてればしんどいだけなので、前だけ向くのを意識したい。
あとは、感謝、向上、前向き、努力と言うのを継続することだ。
人とのご縁は大切に、でも、自分が受け止めれないご縁は切っていく。
それは、受け止めてばかりだと私が持たないし、
相手を傷つけてしまうことだと痛感したからだ。もう同じことはしない。
いらんプライドも捨てていく。最近はよく歌を歌うし、よくばかになる様になった。
自分の曲げたくないものは曲げてない。ずっと思ってたのは、プライドはそんなにいるのか?と言うこと
いらんプライド、捨てたら楽になったし、周りとの関係も良くなった。
プライドがないと言うてた人達へ見返せてる感覚があって嬉しいし、私は私の軸があるのでバカにさせない。
だから、この思いはこれからも継続する。

私は私、良いところも悪いところも全て受け止めれるぐらいになったので
次は具体的な人生設計と、私をさらに魅力的にさせるための努力をしていく。
あと、何よりも、周りとのご縁を大切に。

ーー

不思議と今はこれからに目を置けているし
5年後の将来も考えている。

今の仕事は続けない。
でも、まだまだ働く。
私が最終的にたどり着きたいのは、ホスピスと近い「死」と向き合うこと。

その為には資格もだけど、心を広く、受け止める容量を増やしておきたい。

私は紡ぐ人になりたいし、作る側ではなくて、見送る側に立ちたい。

ーー

今年は、きっと素敵な1年になる。
だから、今はこの思いをとどめておいて

また日常に帰るとします。

今年もよろしくお願いします。

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