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あたまのたいそう0904-ツイート

なぜそんなツイートをしたんですか?、と思うことがある。趣味垢として始めたはずのアカウントがいつの間にか日常に関するツイートが増えていき、最終的に愚痴を垂れ流すようになる。それに需要はあるのか?趣味に集まり、それだけが共通点の人間たちが急に自我を出してきたら気持ち悪いと思ってしまうだろう。SNSで、普段考えて生きていますよ〜悩み抱えて生きていますよ〜という姿勢でいる人が、急にツイートをし出したと思ったら思考の第一歩を垂れ流しているだけで、君は本当に悩んでいるのか?!となる。本当に悩んでいるのなら検索するだろうし、そんな初歩の初歩段階の思考を曝け出すようなしょうもないことをしないだろう。無駄に改行して、時事ニュースを毎回リツイートして自分なりの見解を述べるようなことをし始めたら人間終わりですよ。

ツイッターとの向き合い方を最近考えるようになった。それは一時期API規制がかかる事変があったのがきっかけだと思う。インターネットに真のつながりを求めるためにどうするのか、とかではなくて。偽りで脆い繋がりの我々が、彼らのツイートを見れなくなると思うと少し寂しくなってしまう、けど実際生活にはあんまり影響がないような、そんな人たちとの関係とどう向き合うのか。僕はガチでインスタをやっていないのでLINEで知っている人と、昔Twitterを交換したごく少数の友人のみとしかSNS上で繋がっていない。SNSで一般の若者が経験するような酸いも甘いも味わうことなく、苦労することはないけど苦労しないと得ることができないような経験値を得ることもなく、これからの人生を送っていくのだろう。素直に何かのきっかけでインスタを作ればよかった。いや、そんな深くもない自分の外見だけを勝手に監視されるようなことは、かなりのストレスだし、それがなければ嬉しいと思う。

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