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チョン・ソヨン『#発言する女性として生きるということ』読書感想

◉前置き…読書という名の“わたし”語りとは、その名の通り、読んだ本について、思ったことなど自由に、とても自由に書いています。

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チョン・ソヨン『#発言する女性として生きるということ』を読み終え、チェッコリで行われたチョン・ソヨンのトークイベントをオンラインで視聴した。読みながらぐるぐると考えたことを一つ一つ整理しつつまとめていこうと思う。

何気なく書店でこのタイトルが目に入り、ふと手に取った。本当はイム・ソルアの『最善の人生』を探していたのだが…。(その本は置いてなかった)

手にとってぱらりと中に目を通し、すぐ買うことに決めた。私は“発言する女性”として生きていきたいと思っているし、そうであることがいかに身をすり減らすか、実体験と幾多の女性の声を通して知っている。だからこそ、この本を手にとって平積みに戻すという選択をしなかった。

気にしすぎだよ、生きづらそう、と人に言われることはある。その言葉の裏には、私に対する面倒くさいという思いも込められていたりする。それでも、私は私のもやもやを打ち消さないようにしよう、と決めた。私が私を殺すわけにいかないのだ。

もう一つ決めたことがある。私の大切な人が苦しんでいる時は寄り添い、そばにいる人になろうと思っている。こぼれ落ちていく様々なことに対する諦めと自身の無力感に絶望しながらも、できる範囲で挫けずに踏みとどまるためだ。

それは、一方で見ないフリをしていることへの言い訳でもあるが、人間にできることには限りがある。キャパを超えて頑張ることは、私に負担をかけることでもある。バランスを取らなくては生きていけない世の中なのだ、悲しいことに。

韓国社会について私は基本的に、映画を通して知ることが多い。映画は、ある程度社会を映すものであるし、韓国社会について興味を持つ手っ取り早いツールが私にとっては映画なのだ。韓国の小説も数冊読んだが、エッセイは本作が初めて。

以下、気になった題材と思ったことを引用で述べていく。


●国会を先進化せよ

私たち国民が重要であるがゆえに重要なのだ。(p.60)

これは日本においても言えることだ。国民が選んだ国会議員であるはずだ。しかし、政治に絶望した国民は、自らの参政権を手放すことで腐った政治を野放しにしている。絶望しても手放してはいけないものを手放し、何が変わるのだろうか。

●早く治ってくれ

著者の経験上、韓国の勤労者に許された病気で休める期間は3日だそうだ。今の日本では、そのようなケースはないとは言い切れないかもしれないが…病気で休みやすい風潮にはなっていると思う。

特にインフルエンザなどは1週間近く休むことになっている。この場合は、インフルエンザをうつされたくないから来てくれるな、の意味合いが強いかもしれないが。

とはいえ、コロナ禍において仕事を休みにくい、休むなと言われ、結果的に(コロナを)広めてしまったというニュースもあったのでまだまだ休みにくい現場はあるのかも。

●正社員が階級になった国

非正規雇用者はもはや、正社員という狭く小さき門を突破する力のない人の通称として使われる、ある種の階級になってしまった。(p.91)

日本においても、正社員ではないと、“人生つんでる”なんて言われてしまう。契約社員ですらましだと思うほど。生活していくのがギリギリな賃金であることも多い上に、正社員ではない人を馬鹿にする人も平気でいる。

会社側も正社員を雇う気はないが、人手は足りないので非正規雇用は求めていたりする。この業務内容をみても正社員と非正規雇用に大きく差があるようにも思えないことも多々ある。

本作を見て思い出したのは韓国映画『めまい 窓越しの想い』であった。この映画についてはまた別の機会にまとめたい。

●沈黙が生き残る術にならないように

パワハラは、人権について教えない教育の問題であり、モラルに欠けた人間を強化しない制度の問題であり、いじめを娯楽として消費するメディアの問題であり、個人が生き残るためには沈黙せざる得ない風潮をつくった社会の問題だ。加害者の過ちであり、私たちの課題なのだ。(p.106)

パワハラをどこまで、自分ごととして引き受けられるか。

上司の言動がプレッシャーで、耐えられず泣き出した後輩にかける言葉が見つからなかった。ヤングケアラーの友人が涙ながらに言った、「私の10年を返して欲しい」という言葉の重みを前に私は尻込んだ。己の無力さに打ちのめされる一方で私はなぜ立っていられているのか、と思う。鈍くて強いからだろうか。

●少子化は国の責任

女性を未来の納税者を産む機械くらいにしか思わない扱いには、もう怒る気にするならない。(p.138)

痛烈かつ的確な表現。悲しいやら呆れるやら。げんなりする、が一番私の気持ちに近いだろうか。

「この子がいてよかった、生きがいだ」

母親が言うそれは、もう本能が成せる洗脳かもしれないと空恐ろしくすらなる。母親の自己犠牲の上に成り立つ家庭が、理想的なあるべき姿だと思っている人は少なくない。そう思っている女性はおおよそ洗脳されている、もしくは麻痺している、と思う私が異端なのか?本当にそうか?

チョン・ソヨンは、他のメディアでも出産について語っている。参考までに。

●悲劇を悲劇として受け入れる礼儀

言っていいことと悪いことの区別くらいはつく。その最低限の区別すらできない人よりも、私たちはたくさん声をあげ、長生きしなければならない。進歩か保守かを問う前に、まず人として最低限のラインを守らなければならない。(p.161)

忘れてはならない、コロナ禍の異常な言動の数々を。正気の沙汰とは思えないこと平然と行い、炎上してはキョトンとする、国民と乖離してしまった政治家たち。感覚がズレにズレている。そんな人間が世の中を動かしている異常性。

まともな政治家だと胸を張って言える人が今どのくらいいるのだろう。感覚のズレた政治家と票合わせのために存在するYESマン。政党維持のためなら手段を選ばない目立ちたがり屋。ひやかしかのようなの政党。これのどこか民主主義国家なのだ?

2016年に20歳をむかえ、選挙権を獲得して早々の衆議院選で私は絶望する。民主党のゴタつき、自民党が圧勝する未来しか見えない。私はこの人ならと思える候補者ではなく、この人ならまだマシだと思うような候補者に票を入れざるを得なくなった。この状況がそもそもおかしい。

しかし、どんなに絶望しても選挙権は手放してはならない。諦めたら確実に何も変わらないが、諦めなければ何かが変わる未来はわずかでもある。

●試されているのは私たち

どうか冷静になって常識的に考えてみてほしい。他人に迷惑をかけることを人生の目標にしている人は極めて珍しい。ほとんどの人は、まず自分がいかに平穏無事に暮らせるかを考える。危機的状況で国境を越え、脱出するほどの意思と実行力がある人なら、なおさらそうではないだろうか。韓国で犯罪を犯したり韓国の文化や風習を無視するだろうと、必要以上に恐れることはない。生きたいという一心でやってきた人たちなのだから、彼らがしっかりと韓国で暮らしていけるように支援したからといって大変なことにはならないだろう。(p.164)

ドキュメンタリー映画『東京クルド』で、盗聴した職員の言葉に絶句したのを覚えている。常識的に考えれば異常だと思うようなこともまかり通ってしまう現代社会。


まとめ

SNSで様々な人が発言している。バズっている言葉はキャッチーで人々の目を引く。もしくは過激だ。過激な言葉の中には、お門違いな発言も目につく、というよりもお門違いな意見で溢れかえっている。差別も偏見もマジョリティが言えばそれは正当な意見かのように扱われてしまう。

芸能人が度々炎上するのは、本人が意図している以上に芸能人に対する注目度が大きく、その名前の(情報的)価値も高いから。わかりやすく誰かをこき下ろしたい承認欲求の対象にすぐなり得てしまう。

芸能人に聖人君子になれとは言わないが、自身の持つ影響力と無知を曝け出す危険性については知っておいた方がいい。それは芸能人だけでなくSNSで発言する私たち全てに本来は言えることである。

私自身も自戒してはいるが、発言が切り取られやすい芸能人と誰も相手にしない私の発言では良くも悪くも取り沙汰される機会は大きく違う。だからこそ、芸能人の発言を見て本来皆自戒すべきとも言えるかもしれない。

さらにそれは、届くべき声が届いていないという側面もある。届く前に大多数の匿名性の皮をかぶった無責任な攻撃に消耗し、声を奪われてしまう。誰もが発言できるはずの世の中で、社会的発言権を奪われていく人々もいるのだ。メディアは使うべき社会的発言権をきちんと行使しているだろうか。自分発信ではないが、メディアを取り扱う仕事についているので尚更そのようなことを思う。

また、会議では男性が当たり前のように話し、割り込んで話さなければ話を振られることもない。さらに、女性は話が長いというイメージがつきがちだが、会議で調べてみると男性の話している時間も長いという話には胸のすく思いであった。

私は時折、“若い女性”というだけでなめられているなと感じたり、私の発言をまともに聞こうとしない、同じ土俵に上げさせてもらえていないと感じたりする。しかし、そのような態度をとる人の多くは、無自覚、もしくは自分が教えてあげなければと上から目線で話すことが間違っているという認識はない。心の中で、この人がのさばっていられる時間もそう少ないだろうと思うことでやり過ごす。

まだまだ取り上げたい話題は尽きないが風呂敷を広げすぎても…と、この辺りでやめておく。

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