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ヒコロヒー『きれはし』読書感想

◉前置き…読書という名の“わたし”語りとは、その名の通り、読んだ本について、思ったことなど自由に、とても自由に書いています。


(人物名は敬称略)

※注)2023年の話です。文中のヒコロヒーのライブは第十一回ヒコロヒー単独公演『返せよ』(2023.01.22)のこと。

今、私は絶望と自己嫌悪と様々な感情の渦の中にいる。まず、給料が少なかった。今月やりくりできる気がしない。試写会で映画を見て、気が晴れるかと思ったが…帰りの電車の中でどうしても読みたくてヒコロヒーの『きれはし』を全部読んでしまった。

誤解のないように言っておくとヒコロヒーの文章が悪いのではない。むしろ逆だ、すごく良かったのだ。だからこそ私は己の不甲斐なさにのたうち回っている。

「こんなはずじゃなかった」と言わせない私のプライドの高さが全てを邪魔している。がむしゃらになれず、傷つくのを恐れて自己嫌悪の沼で一人のたうち回り、暇さえあればただただ映画を見て最もらしいことを言おうと偉そうにしている。しんどくなったらK-popのMVを見て、光り輝くアイドルの格好良さで脳内を埋め尽くし、思考をシャットアウトする日々を送っている。

そんな私とヒコロヒーの出会いは、「かがみよかがみ」というエッセイを投稿するサイトであった。私も2つ記事を投稿した。今では恥ずかしくてとてもじゃないけれど読めたものではないが…。

「かがみよかがみ」でヒコロヒーの文章を読んでとても好きだと思った。恐れ多いが、少し似ているなと思ったのである。次第にテレビでもヒコロヒーを見かけるようになった。今までの女芸人さんとは少し違う雰囲気と愛想のなさが好きだ。

あれはいつのことだっただろう…2021年か2022年のことだったと思う。突然お笑い芸人さんの単独ライブに行きたいと思った。バラエティ番組は好きで見てはいるが、特にこれといってお笑い好きではないというのに、行きたくなったのだ。

誰の単独ライブに行こうか…と考えた時に、真っ先に浮かんだのが、ヒコロヒーだった。テレビでネタを見たことがあるが、ヒコロヒーの何を知っているかというと、特に何も知らない。でも他に思い浮かばなかった。単独ライブの情報が来るかもしれないとヒコロヒーのX(旧Twitter)をフォローし、昨年末とうとう単独ライブの情報を知り、チケット争奪戦を勝ち抜いた。

先日、念願のヒコロヒーの単独ライブに行ってきた。洒落ていたが、いやらしい感じではなかった。ネタの面白さはもちろんのこと、客層も劇場も居心地が良かった。会場の空気に飲まれて楽しめないのではないかと少し不安だったのである。

初めてのお笑いの単独ライブがとても面白く、居心地がよく大満足な私はヒコロヒーの著書『きれはし』を読みたいと思った。実は、発売されてすぐ立ち読みして自分にグサリと刺さりそうで買うのを躊躇ってしまったのである。立ち読みで読んだのは「まるこ」の話だった。

私も「さくらももこ」が好きだと公言するほどでもないが、初めて読んだ漫画は「ちびまる子ちゃん」であったし、さくらももこのエッセイで思春期のセンチメンタルを乗り越えてきた。私にとってはバイブルなのである。さくらももこは、社会人として働いていた頃、居眠りしてpcをブラックアウトさせた猛者であるが、大きくなるにつれ、私もいつかそういうことをする部類の人だという確信が強まり、会社の面談のたびにひやひやしている。

話が逸れたが、「まるこ」の話でずきゅーんとざわざわが私の中を支配し、心のささくれが増えてしまうと躊躇していたヒコロヒーの『きれはし』をとうとう手に取ってレジに向かった。QUOカードの残金で買えるから大丈夫と安心していた私に店員は、「QUOカード使えません」と言い放った。私はつめが甘いというか、阿呆なのである。

そんなこんなでやっと手にした『きれはし』を一気に2日ほどで読み終えてしまった。読み終えて本当は泣きたかった、でも意地っ張りでチンケなプライドばかり守る私は、私が泣くことも許さなかった。だから何くそと書き殴るに至った。

様々な感情が渦巻いて今とても苦しいが、いろんな意味で感謝している。勝手に感謝されても迷惑だろうとは思うが。この感情のざわざわとは幾度も出会ってきたが、その度に一念発起して頑張るような人間ではない。自分に対するヘイトを溜め、寝てしまえば明日には忘れている。

それでも何とか足掻こうとはしている。そんなへちゃむくれを責めないでいてくれる人に生かされてきた。これからも適度に甘えつつ何とかしようとしてはみようと思う。

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