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ホストマザーとの思い出

確か2年前、クリスマスが間近に迫った頃。Facebookで友達になっているアリーサからこんな投稿があった。

「誰か私のママのクリスマス時期の写真を持ってる人がいたら送ってくれない?」

…持ってるかも。

私は少しホコリをかぶったアルバムを引っ張り出し、ページをめくった。

あった。紫色のガウンを着てクリスマスの日の朝食を用意してるバーバラの写真。テーブルの陰にはいたずらっぽい顔をした9歳当時のアリーサも写ってる。それからツリーの前での集合写真。家族や友達と一緒に私も笑顔で写っていた。

私はアルバムから2枚の写真を外し、光が写り込まないように気をつけながらiPhoneで写した。そしてそのイメージをアリーサの投稿の返信欄に挿入する。

「アリーサ、クリスマスの時期のバーバラの写真、あったから送るね」

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大学1年生、19歳の夏。学校のプログラムで夏休みにシアトルに2週間のホームステイ。バーバラは私のホストマザーだった。たぶん30代前半。ホストファーザーはジョージ、子供たちはアリーサ7歳、スティーヴン5歳、マシュー3歳。それと黒い小犬のザッカリー。

初めての海外で緊張しまくる私をバーバラは温かく迎え入れてくれた。とにかく私は初めての英語漬けの生活で、大変ではあったけどホストファミリーの、特にバーバラのサポートがあったから、楽しく過ごせたんだと思う。まともに英語を話せた感覚はなかったけど、バーバラは理解しようと努力してくれた。

冒頭のクリスマスの写真は、ホームステイの2年後、ミネソタに1年間の交換留学中、シアトルを訪ねた時のものだ。当時はメールなんかなかったから手紙や電話でやりとりしてたはずだけど、バーバラはクリスマスに遊びにおいで、と招待してくれた。私と、同じ大学から留学に行っていたヨウコの2人を。

ホームステイは夏だったから、クリスマスのシアトルはまた格別だった。クリスマスイブの日はシュリンプカクテルなんかを食べながらカードゲームをして夜更かししたし、クリスマスの朝にはクリスマスプディングを用意してくれた。その時の写真だ。

2年ぶりにバーバラと再会していろいろ話した。バーバラのルーツは北欧だったけど、私が留学しているミネソタもシアトル(ワシントン州)と気候が似ているから、北欧の人は多いはずだと教えてくれた。2年前より英語が上手になったね、と言ってもらえた。

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アメリカから帰って日本の大学を卒業し、私は東京の会社に就職した。学部は教育学部だったから、友達の9割は地元で教師を目指していた。うちは両親も双方の祖父も親戚もみんな教師で、みんなが私が教師になることを期待していたし、私もそのつもりだった。留学に行くまでは。でも留学から帰ってきたらなんだか教師になるのが嫌になってしまった。そしてアメリカで暮らしたことで、日本なんて小さいと思えて、地元から出ることの抵抗感が薄れた。バブルの頃だったから文系女子でも採用してもらえた。

最初に入った会社は3年くらいで辞めてしまった。いろいろあって転職した頃、前の会社の広報部にいた後輩からメールがあった。バーバラさんという人から、会社のホームページにMariko Akakiはいるかと問い合わせがあったと言うのだ。少し疎遠になっていたけど、バーバラは私がOlivettiという会社に就職したと以前手紙で書いたのを覚えていて、ホームページを捜してメールをくれたのだった。そして私たちはまたメールでつながった。

バーバラは一度長男のスティーヴンと東京に遊びにきてくれたこともある。スティーヴンは当時年上の日本人女性と付き合っていて、彼女に会いに日本にやってきたのだが、バーバラもそれについてきたのだ。私は張り切って浅草を案内し、一緒に人力車に乗り、夜は近所の居酒屋に連れていき、変てこなものをたくさん食べさせた。ホームステイ中、初めてのものをたくさん食べさせてもらったお返しに。バーバラが喜んだかどうかは微妙だけど。

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それから数年後、私はジョージからメールを受け取った。それはバーバラが亡くなったという内容だった。まだ50代だったと思う。spineに問題があって手術をするというような話は聞いていたけど、私の英語力ではそれがどういう病気なのか、深刻だったのかもわかっていなかったし、たぶん家族も亡くなることは想定していなかったように思えた。信じられなかったけど、シアトルまで飛んでいくこともできずに、私はただお悔やみのメールを送った。

今、私はアリーサやスティーヴンとFacebookでつながってる。アリーサに3人の子供がいて、スティーヴンは2人の子持ちだ(いつかの日本人の彼女とはすぐに別れたらしい)。

私が送った写真にアリーサは感激してすぐコメントをくれた。バーバラは写真に撮られるのを嫌がっていて、クリスマスの写真が残っていなかったと言ってた。私はいろんなことを一気に思い出して、泣いた。ジョージからメールを受け取った時泣けなかった分まで。

アメリカについていろいろ思うところはある。犯罪率の高さとか、特に銃社会であることは嫌だ。国際社会で自己中心的な振る舞いをするところも気になる。だけど私のアメリカに対する根本的な信頼がそれでも揺るがないのは最初のホームステイでの出会いのおかげじゃないかと思ってる。

そしてこの時の体験があったから私は英語を使う道を選んできて今に至るんだなと思うのだ。バーバラ、メリークリスマス。


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