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行動あるのみ

自分の課題と感じていること諸々を解決したい


具体的にどんな行動に移したらいいか、習慣化したらいいかタスクとして生活に落とし込んでいくのって相当難しいよね。
何度も考えるんだけど目の前に解決しなければならないこと(仕事でもプライベートでも)があるとすっかり忘れてしまう。
まあ何度でも思い出せばいいんですけど。
とりあえず今やりたいことを紙に書いて壁に貼ってみた。
具体的なこと、抽象的なこと、様々。
つい苦手なことを解決しようとしがちな人生なんだけど、得意にフォーカスすることも大事なんだよねーーー。これもずいぶん前から思っている。

お土産とかちょっとしたお菓子とかいただいたとき

「同じくらいの金額のものを近いうちに返さなければ」という思考に陥りがち。
義務的に、かつ金額ベースで考えてしまうのやめたい。

デパ地下とかふらっと寄った時、ありがとうの気持ちで、自然に、「あ、あの人にあげたいな」ってなりたい。
「いつももらってばっかだからお返ししなきゃ。」だと、チョイスが不自然になって(変に立派なものを変なタイミングで渡しちゃう)逆に相手を恐縮させてしまう。
だから、いただいた後でも、敢えてお返ししなくてもいいかなーという気持ちになって何も返さないこともある。でもやはり人としてどうなのと思ったり、、。

とりあえず、お返し渡すときに感謝の気持ち込めれば自然に成立するような気がする。「ありがとう」と言いながら、思いながら。
あと渡すときちょっと気恥ずかしいけどもういい大人なんだし、なんとかできるでしょう!!君ならできる!!!

友人や知り合いの何気ないひとことを、ひとつの意見に過ぎないものを、世の中の正解と決めつけてしまう。そのことに気付くまでにずいぶん時間がかかった。

「高校時代はアルバイトよりも部活に注力すべき」
「社内恋愛するとプライベートの時間も仕事の話ばかりで疲れるから良くない」

など。これが高校時代の正解、社内恋愛の正解(社内恋愛はすべきでない)、と決めつけてたからね。若かった。
まだまだ自分が確立していないし、皆それぞれ違う意見を持っていることを理解してなかった。
若いって恐ろしいなあと思った話

「心配する=勝手に問題視する」

ちょっとドキッとするポストを目にしたのでメモ。
「心配する=勝手に問題視する」、これをつい最近パートナーにしてしまっていたことに気付き反省。
まず、「問題」であるかどうかを確認しなければならないのに、その工程をすっ飛ばして、勝手に、私が何とかしなきゃ、と、はき違えていた…
そしてパートナー的には問題とは思っていなかった。結果、いらんお節介的なことになってしまった。

自分の知っていることがすべてとか経験則で無意識に決めつけてしまう。謙虚さは忘れたくないけど、何が謙虚なのかわからなくなる。

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