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キーシン頌

 とんでもなく恥ずかしい告白をしよう――。私がはじめて買ったクラシックのCDは宇野功芳が帯を書いていたショパンのピアノコンチェルト一番・二番だ、と。ピアノがはいった途端の笑ってしまう大仰さ、ドミグラスソースのように滴る協奏に肉汁を滴下させる分厚いリブロースのごとき、圧倒的主張のピアノ。あたかも少女漫画のごとき過剰の世界でありながらも、しかしそれをこそピアニズムとする、あの甘ったるくもたしかに、豊満な世界……。ツィマーマンについては、その後とんと縁をなくしたが、いまもそのショパンのCDを私はとってあり、その後二十年近くが経過、堕落した私は扇風機のぬるい風にあたりながら旧時代の遺物、インターネットをチェック。だらだらとツイートが流れて行くSNSのインターフェース、はいこれいいね、はいこれRT、はいこいつリフォロー、……としているうちにハタと手指の動きがとまった。
 私は泣いていた。引力にしたがって顎先まで伝う涙は、それが一体なんと綺麗な秩序であっただろう、と私にあわく近代的世界像への期待を抱かせた。

 そう。キーシン。キーシンよ! 大きくなった! 嗚呼! すっかり忘れてしまっていた。東京の駅の構内なぞで、もしやコンサートのポスターをみていたかもしれなかったが、しかしそんなことがあっても、私はつとめてそっちを見まいとしてきた(今日の映画なんにするー、ととなりの友人に問いただした上、TOHOシネマズに行ったついでに「中華一番館」のかぎりなく水に近いハイボールで酔わねばならなかった)。すぐに忘れて来た。クラシックというもの、その時間の流れ方に身を委ねることをいつも欲しながらも、なぜかいつも、今日びのスレッド感覚になまりきった身体が、私にそいつを拒否させてきたのだ。そうしているうち、神童も歳をとっていたとは。二十代はじめのころ、私にバイセクシュアルの目覚めをおぼえさせかけた、ロシアのかの神童。なんという顔かたち。なんという広がりのピアノ。マジで私は性的対象として、彼に惚れかけたが、クラシックと疎遠となったことによって、その難局をなんとか乗り切り、いまは立派なヘテロだよ。
 わが初恋相手のショパンが、ツイッターの動画音質であっても、私のと胸に冴え冴えと響きわたった。そんな日本の朝まだき、渋谷では日本の陰謀論者どもがコロナウイルスを中世風にばらまき、コンサートに行くめどは、たちそうもなかった。だがしつこいがこれだけは云える。私がもしもゲイであったとしたのならば、それは君のせいだったのさ、キーシン。

静かに本を読みたいとおもっており、家にネット環境はありません。が、このnoteについては今後も更新していく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。