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30代後半になって生きづらさに気づく。

昔から心配性という自覚はあった。真面目だという自覚も。そういう性分にはコンプレックスを抱いていました。

「繊細さん」とか「HSP」という言葉が流行ったからなのかもしれないけど、ここ1,2年の間に自分がどうもあらゆる刺激を受けやすくて、疲れやすいということに気づき始めた。スピーカーの音量が少しでも普段より大きいと気になる。着ている服のデザインがいくら好きでも、肌さわりが好みではなかったらいつの間にか着なくなっている。体温の上昇は微熱手前でもすぐ感じる。

急な予定変更が苦手だったり、人と会ったあとは楽しかった日でもどっと疲れたり、人に話したことなど何度も反芻してぐるぐると考えてしまったりするのは、とにかくいろいろ過敏な傾向にあるせいもあるんだと、30代後半になってようやく気づいてきた。

だから最近は断捨離をして、身の回りの余計な情報や少しでも不快に感じるものをなるべく排除しようとしてみている。けっこう気の長い作業で、吟味したほうがよいモノゴトはいくらでもある。金額の高いモノ、巷では人気なモノでも気に入ってないと分かったとき、それを手放すのには勇気がいる。「あーもったいな……」と思い数日、数週間を過ごしてから結局サヨナラしたりする。
「こんなものにお金かけないとだめ?!」と思うようなモノでも、自分がそれでないと落ち着かいとわかると揃えてみたりする。何かとコストのかかるヤツだなあ。やれやれです。

でもこういう生きづらさを抱える人って、上記の言葉の流行のお陰でそれなりにいそうだと分かっているのはとてもありがたい。つらいけど、でもそれを認め受け入れたほうがいいんだっていうのも分かってきた。つらいけど!

わたしは昔から一人で過ごす時間もけっこう好きだった。彼氏をおいてバックパッカー旅1か月なんてのをしたことも。彼氏はその間浮気していたことがあとからわかり別れた。それでも一人の時間というのは、刺激をなるべく少なくできるからわたしにとって必要なんだ。家族をもった今になっても、仕方ないながら必要みたいだ。

こういうことって身近な人にはなかなか話せないのでnoteに書いてみている。ちょっと「僕もだよ」「私もだよ」っていう声も聞けたらいいななんて思いながら。


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