見出し画像

私を構成する5つのマンガ

 ”もどかしい日常”を与えてくれる漫画が好きだ。

 僕は学生時代あまり漫画を読んでこなかった。選んだ5冊もすべて社会人になってから読んだものばかり。仕事の息抜きとして漫画を読む、という習慣がついた。

 5冊の漫画に出てくる主人公は、みな「屈折」をかかえていることが特徴かもしれない。「ギャラリーフェイク」の藤田はインチキディーラー、「電波の城」の詩織はカルト宗教家の娘、「ナニワ金融道」の灰原は怪しい金融マン、「めぞん一刻」の伍代は浪人生、「ハローはりねずみ」の七瀬は探偵といった具合だ。

 みなカタギとアウトローのギリギリのところで生きている人ばかり。おそらく僕が週刊誌記者として、「グレーゾーンにこそネタがある」という教えのもと仕事を続けていた部分が大きいと思う。

 グレーゾーンにいる漫画の主人公たちは”痛快な成功”や”痛快な勝利”を収めない。その人間臭さも僕がこの5冊に惹かれる理由だ。少年ジャンプ的なヒーローや大勝利を、大人になり現実に生きるようになった僕は受け入れることができなかった。いちばん成功を収めたかに見えた詩織は、ニュースのアンカーマンの座を手に入れ、追い詰められ自死してしまう。

”痛快な成功”を収めない漫画の何が楽しいのかといえば、もどかしい日常がそこに描かれているところだ。その端的な例が、5冊とも主人公の恋愛が成就するまで長い時間がかかるか、成就しないままで終わる。現実に葛藤し、恋に悩む。しかし、そのもどかしい日常の中に読むべき全てが詰まっているのだ。

藤田であれば芸術への愛、伍代であれば響子さんへの恋慕、七瀬であれば依頼者への献身といった主人公のスタンスは毎回変わらない。詩織は復讐と野心を基軸に闘い、灰原は資本主義の極北を見ながら人に向き合おうとする。彼らが「信じる何か」を毎回読めるのが楽しいのだ。グレーゾーンで生きたとしても、様々なトラブルはあったとしても、人間は自らが信じる価値観を失ってはいけない。

 とかく週刊誌は下世話とか、のぞき見趣味と叩かれる。目まぐるしい日々のなかで、記者は「屈折」を抱えらながら「自分が信じる何か」を守り必死にもがいている。

 だからこそ僕はこの5冊を愛してやまないのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?