正月に思うこと

正月を迎えると、何かをするたびに初◯◯という言葉が頭をよぎる。正月の朝に冷蔵庫からお茶を取り出して飲む時も「あ、これは初飲み物だな」とか。くだらないのですぐ考えないようにする、でもたびたび脳をかすめる。年末には◯◯納めなどの言葉もあるけれど浮かぶ前に年を越してしまっていることが多い。

子どものころは年越しの瞬間、目を瞑ったりお願いごとをやっていた。いつのまにか気にも留めないようになってしまっていた。 小学校高学年の頃だったか、大晦日に祖父母の家に帰省していた折にたまたま風呂が壊れていたのでスーパー銭湯に行った。 脱衣所でふと天井の隅にぶら下がったテレビに目をやるとアイドルが新年のカウントダウンをしていて 「しまった」と思った。

何かの儀式をしていたのに、こんなところで。ましてや服も脱ぎかけ、 知らない人に囲まれたまま普通に過ぎ去ってしまっていた。 それ以来、特に意識しなくなった。 何かのきっかけがあれば、感度はだんだん落ちてくる。

正月でいえば、昔は実家でテレビばかり見ていた。 夜中までリビングでバラエティ番組を見続けていると、夜中には知らない映画がはじまる。 朝方には若手芸人がワイワイする番組も、やっていれば見る。特に見たいわけでもないけれど見る。 そして三が日が終わり、しばらくするとテレビは通常営業。夜中も通販番組になったり普通の番組編成に変わっていく。 そのときにも良く感じていた、自分はまだ正月気分でいたいのにな、と世間に置いていかれてしまっているような気持ちになった。 それもきっかけがあったか無かったか、いつからか感じなくなった。

そもそも今では世間が正月休みでも仕事をしたりするので、 あまり正月気分に浸らないようにしようとしている。 今では1泊程度になった実家への帰省もそう。実家では何もすることが無く、 無限に出てくる食べ物を出されるがまま食べ自堕落な生活を送る。 ほぼ1年の中でこの時しか思わない「暇だな」という感覚を味わう。 このまま居てもやること無いし、帰ってやることはたくさんある。 そろそろ戻らないと、と思い自分の下宿先に戻る。たった1日実家に戻っただけで、その道中はなんとも言えない気持ちになる。 一人電車の中で昔聴いていた曲をふと再生してみたりする。昔の記憶の断片を思い出す。

この感じはなんなんだろうか、人がいる生活が恋しいという気持ちなのか。 過去への羨望か。 能天気に何も考えていなかった、むかしの自分への投射。こうして懐かしんでいる自分もおそらく10年後、懐かしむ対象になっているんだろうな。 

楽しいことがあった翌日は一週間前の自分を思い起こす。 できればあの楽しかった時間を控えている自分に戻りたいな、という気持ちを反芻する。過去を反芻するときは、楽しかったり無駄な瞬間ばかりだ。その時はもっと有意義に時間を使えば良かったと後悔するけれど時間が経つと味のある時間になる。 過去を振り返るのは無駄こと、そして無駄な時間を過ごすのはもったいない。でもそういうのが大切なことなんだろうな。

こういう事を色々考えても結局、今のうちに有意義に時間を使わないといけないと焦っている。自分の良くない癖だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?