〈鬼と云われようとも〉
(恐ろしいもの、強いもの、物凄いもの、逞しいもの)
私の場合、小さい頃から親が怖いと思っていた。
なんとなくおばけも信じていたし、髪の毛を洗っているときに目を開けるのが怖かったし、トイレから茶の間まで戻る特はダッシュだったし、悪いことをしたら絶対天罰や祟りがあると思っていた。(今でも思っている)
近頃の子どもたち、とりわけ幼児と小学生は、発達した最先端の文明の中で育くまれた所為か、あまり恐れなく、平気で自分が一番だと思っているフシがある。
それはもちろんひとつ素晴らしいことではあるが、伸びた鼻がとってもみっともないタイプの子たちもいる。
近年のトレンドといえば、教師は子どもたちを怒れない。
同じく親も、可愛い我が子を叱らない。
神業的なショート動画を見て満足し、その結果に至るまでの血の滲む努力に振り向かない。
すべて私の主観なので話半分で見ていて欲しいが、なんだかこう、悔しさからなる原動力、みたいなものを忘れているんではなかろうか、と思うときが多々ある。
煽られてすぐ切れるだけで、冷静に向き合おうとしないというか。すぐ死ぬとか言うし、すぐ人生終わった、とか言うし、すぐに神とか言っちゃうし。
時に我が家でひょんなことがありまして、鉄棒逆上がり地獄の特訓が始まりました。
逆上がりができなくちゃ、結構カッコ悪い。と忍たまでも言っていたように、テストの点数だけではこの世は生きていけないわけで。かと言って苦手な運動を絶対克服しなさいというわけでもない。悔しさがバネになることを知って欲しかった。
逆上がりをするための補助器具も設置してあったので、何度も何度も繰り返させた。どんな出来ない理由を訴えられても、泣いても、煽って続けさせた。
悔しくて泣くっていうのは結局自分に負けているからだろうと思っている。
負けたら自分に勝つしか、そこから脱出できる方法は無い。
鬼のように、鼓舞しながら、続けさせた。
結局やらせてあげることは出来なかった。ただ、物事はそんなに簡単にできるはずがない、ということは少しでも理解したんではなかろうか。
自分の中の端っこにあった軍国少年みたいいなところがにじみ出て、正しい指導の仕方ではないのだけれど、何クソ負けるか!をただただ知って欲しかったギリギリアウトな毒親で申し訳ない。
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