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旦那が人間扱いしてくれない

私の旦那さん

うちの旦那さんは私のことを人とは思っていない。

乱暴なタイトルと書き出しで始めてしまったけれど、
これはただの惚気記事なので安心してほしい。

私は毎日、心の底から幸せである。

むしろ旦那さんのこのスタンスが
夫婦生活を円満にさせる秘訣だとも思っている。

読んでくださった人にも何か幸せをお裾分けできるよう実践的な内容にしたかったんだけど、特殊すぎて結果惚気ることしかできなかったということをここに記してから始めようと思う。



何を隠そう、うちの旦那さんは

私のことを人ではく ねこ だと思っている。




至って真面目な話である。ふざけてはいない。
旦那さんもふざけていないし、私も正直どうかとは思っている。

本物のネチコヤンをお互い飼ったことがないので正確には妄想の産物に他ならないのだけど、うちの旦那さんは本気で私に向けた認識を 妻をしているねこ だと捉えているのである。

因みに明文しなくてもわかるとは思うが、
そういったぷれいの話ではないので悪しからず。


詳しく説明すると、
旦那さんにとっては私が朝寝ていると「よく眠っててかわいいね」になるし、
ご飯を食べれば「いっぱいおいしそうに食べてえらいね」になるし、
二度寝や昼寝をすれば「ねこだから眠たいもんね、うふふ」になるのである。

最近はただテレビを見ていても「ねこだなあ」とニコニコする旦那さんなので
流石に「どこが??」と毎回聞き返さずにはいられない状況である。


私が家事もせずダラダラ過ごした日も、
旦那さんが仕事から帰ってきて疲れているというのに
溜まった洗濯物を干してくれたり、ご飯を自分で作ったりしてくれるので、

実は己の精神を守るために“専業主婦の妻は人間ではない”という妄想で
正気を保っているのではないか?? 
と本気で心の病気を疑ったこともある。


もしくは「猫みたいにダラダラしやがって」
という意味をこめた遠回しな嫌味を言っている可能性もあるかもしれないと
度々旦那さんに確認を入れるのだけど、これがまた呑気な顔をして
「なんで?」とキョトンとするのである。聖人か??

出会ってから10年ほど経つので旦那さんの性格はわかっているつもりなんだけれど、これが本気の本気で一片の嫌味も迷いもなく、

私をねことして肯定している。


言葉にすると不可解さが増す気がするが、
他にどう表すべきか私にはわからない。

こんな人他におるだろうか??????

いやいまい。

主婦を6年経験してもちっとも家事が上達する兆しもない私を
「こにゃんこだもんね」と(ホント文字に起こすとつらいものがある)
受け入れてくれて、毎回台所で何かしら失敗する奇声を聞いては
飛んできて心配してくれたり生温かい視線で応援してくれたり、
一向に整理される気配のない雑多な部屋にも文句も言わず、
寝る前に何かお話しをしてと頼めば即興で物語を作って語ってくれる人なんて。


私はきっとこの人をなくしてしまえば
こんなにも幸せをくれるパートナーはみつけられないと思う。


絶対来世でも結ばれたい。


私ばかりが幸せで申し訳ないのだけれど、
そんな私の幸せを自分の幸せとして喜んでくれるのが
私の旦那さんなのだ。


気づけばねこになっていた


うん10年前、子供ながらに新婚がいらっしゃいする番組を見て、
お互いを「みいちゃん♡」だの「まーくん♡」だのと呼び合うカップルに鳥肌を立てて(こんな大人には絶対ならん。ていうかなれん)と思っていた私が

今や「にゃんこ」と呼ばれ、
旦那さんの見た目そのままに「くま」と呼び合っているのが現実だったりする。


世の中何が起きるかわからん。いつ洗脳されたのかも記憶にない。
こんなこと大好きなお姉ちゃんたちにもカミングアウトできない。
我ながらすごく恥ずかしい。
お墓まで持って行かなければならない秘密である。


そう、恥ずかしいという自覚はこの上なくあるのだ。

けれど、これがどうして。とても心地が良いのである。


そりゃあ楽ができるからそうだろとか、
旦那さんがかわいそうとか言われれば上手く否定はできないんだけど。

でもここで、結婚当初の私を振り返らせてほしい。

結婚したての頃の私は、何か旦那さんが家事をしようものなら
「私が出来の悪い奥さんだって言いたいんでしょ!」
と泣きながら典型的被害妄想ヒステリーを起こしていたものだった。

問題は私の自己肯定感の低さだ。
完璧でない自分が許せなかった。
家事と仕事の両立は、全くできなかった。

仕事も家事もできなければ私に一体なんの価値があり、
誰が私を評価をしてくれるのか。

仕事を辞めたら夜は眠れなくなり、明け方眠りについても悪夢にうなされ
何度も泣きながら起きては旦那さんが抱きしめてくれた。


出会った時から今までにかけて旦那さんは何も変わっていないように思う。
私が仕事をしていてもしていなくても、家事をしてもしなくても、
私に接する態度や言葉が冷たくなることは決してなかった。

それはきっと意図してのものじゃなかったと思う。
旦那さんはいい意味でも悪い意味でも物事を深く気にしない人だ。
だからこそ、私は彼を選んだし、迷いなく愛せるんだと思う。

私は私でいていいんだと思わせてくれた。
完璧な奥さんでなくても。


こういった具合で旦那さんからの惜しみない愛と、
O型らしい無頓着を一身に受けて着々と育てられた結果、
私は私を好きになれていたし、気づけばねこになっていたのである。


もう少し惚気たい

さて、長くなったかもしれないが
相手もいないところで一人惚気るというのは制約もなく楽しいので
もう少しだけ続けたい。本当に読んでくれてありがとう。


「今日はお昼寝したの?」という質問に対して「してないよ」と答えれば
少ししょぼんとするうちの不思議で素敵な旦那さんなのだが、
始めから私にべたべたに甘々な人ではなかった。
……いや、甘かったかもしれん。

ただ、昭和の男らしく「好き」だとかはあまり口にしない人だった。
聞けば「安っぽくなりそうで嫌じゃない?」とそこには否定的で、
私もそうかなあと一考はしたけれど、気づけば

「もっと好きって言って!」

とこれまた臆面もなく自分に素直に気持ちを吐き出していた。

私がこうなったのは紛れもなく旦那さんの教育の賜物なので
仕方ない(ということにしておく)

毎日のように「好きだ」「好きだ」とオウムのように言い続けた結果
功を奏したと言うべきか、旦那さんがただ「好き」と言い返してくれるだけに留まらず、何故か私をねこと見なすという斜め上な状況を作るに至った。


これが正しいことなのかどうかは今でもわからない。

今回書き記した“相手をねこと思い接する“というコミュニケーション方法は、
周りの人にも、これを読んでくれたあなたにも
特殊すぎてお勧めできる方法ではないというのは私も重々承知している。

それでもこの中で唯一お勧めできる部分があるとすれば、
毎日「かわいい」と「好き」は言い合うべきだというところだろう。

ここだけは声を大にして伝えられる。
幸福感が格段に増すからやってみてほしい。


私はここ数年旦那さんに毎日「好き」と言っている。
気掛けて「かわいい」とか「かっこいい」とか「一緒にいて楽しいね」と気持ちをそのまま伝えるようにしている。

「ありがとう」や「ごめんなさい」と同じで、相手が言ってくれると返しやすいし、自分がされて嬉しいことは好きな人にもしてあげたいからだ。

私たちはきっとそういうやりとりがたくさんある夫婦だと思う。

いくつまでこんなバカップルみたいなやりとりを続けられるだろうかと思うんだけれど、人間いつ死ぬかわからない生き物なので、私は後悔しないためにも全力で愛を伝えるつもりだ。旦那さんのねことして。


私はねこになる


私は世の“理想の奥さん”からかけ離れた存在だろう。

でも旦那さんは私が私であるだけで愛してくれるし、私も私を愛している。
そんな私の心と体いっぱいで旦那さんを愛して、
これからも大切に生きていきたい。


昨今コロナ禍やコロナ離婚だとか悲しいニュースがよく耳に
飛び込んでくるけど、今こそ好きな人との時間を大切にするべく、
私は甘んじてねこになるのである。


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