【エッセイ】呪いの言葉


 人間には、魔法は使えない。超能力もないし、エスパーもない。
でも、人間は人間の動きを止める呪いを使うことができる。

『お前のやっていることは無意味だ』

 全員は使っていないけど、全員が使うことができる。
呪いが使えることが分かって恐れる人もいれば、万能感に酔いしれる人もいる。呪いが使えることを知らないまま過ごす人は沢山いるけれど、全員が一度は使っている。
呪いを恐れる人も、一度は使ったことがあるのだ。

 今日、久方ぶりにその呪いを受けた。
身体の中から細い蔓と太い蔓が沢山伸びてきて身体をきゅっと締める。さらに弱い電流が流れてくるみたいに全身が鈍く痺れる。
体はそんな調子なのに、耳と脳みそは異常にクリアなのが不思議だ。相手の口がふさがらない限り呪いは効き続ける。

 呪いを受けている間、頭の半分くらいで「今のわたしは外からどんなふうに見えているんだろう」ということを考える。かわいそうな子?能力が低い社員?信頼できない人間?
私はもう二十年以上生きているからそのどれもが自意識過剰で、本当は周りの人間がそこまで自分に関心を抱いていないことを知っている。
目の前で呪いを吐くその本人でさえもだ。

 知っているのに、体は動かない。多分私は呪いが効きやすい人間なんだと思う。周りには呪いを交わす術を持つ者や呪いを跳ね返してしまう精神力を持つ者が多くいるし、何より私が、かつてはそういう人間だった。だから、これは回避できるはずの症状なのだ。おそらく。

 人はなぜ呪いを吐かなければ生きていけないのだろうか。
自分以外の人間が損をするだけのことがどうして許せないのだろうか。そう思いながら、私自身もたくさん呪いを吐いてきた。
もしかして、呪いを吐くことが他人とともに生きること、だったりするのだろうか。

 ここまで言っておいて今更だが、私は自身に呪いを吐いた人間を恨んだことは一度もない。
その人が、ただ、そう思っただけだ。それに、その人たちだって別に私にとってさして大切な人間ではなかった。

 いつも、思考がこの辺りまでいったところで私は現実に戻ってまた呪いの内容に耳を傾ける。
 相変わらず体は動かないし、今度はすごく寂しい気もしてくる。そもそも吐いた呪いが私にとって致命傷になる程に大切な人間など、この世にいないのではないか。

 寂しさが痺れを加速させて、脳にまで行き渡る。それからしばらくぼんやりと相手を眺める。体が上手く動かないのに目だけは大きく見開かれていくから、私がぼんやりし始めても相手には伝わらない。そうした頃にやっと呪いは解かれる。

 呪いをすっかり吐いてしまったその人の背中は心なしかスッキリしているように見える。動くようになった口で罵詈雑言を吐きかける価値はないように見えた。

 道へ出て空に浮かぶ雲の形をなにかに譬えながら歩く。道ですれ違った人の生活を勝手に想像してニヤニヤする。自分で作ったハイボールを片手に何もせずに起きている。“意味あること”にだけ意味があると思っている奴には見えない世界を見て、突っ込まれた呪いを飛ばしていく。
誰にも理解できない“意味のあること”を見つけたら、勝ちなのだ。

 そんなことを思いながらお酒の入ったグラスを傾ける。ほらね、今日も私の勝ちだ。

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