WOWOWドラマフェンス感想感謝/マブイってどうやったら拾えるの?


ネタバレありますので未視聴の方は読むのをお控えください!ネタバレ大丈夫という方はどうぞ(?)
性加害系にトラウマある人も注意です!

観終わりました。長かった…。7/20に入会し8/8に見終わりました。
私はとあるアニメ一期・全500分ほどを一日で見終えたことがあるので、そんな私にしてはかなり遅い方です。
その理由は性加害に嫌な思い出があるから。
見てる間ずっと心臓に重石を載せられている感じになり、肋骨が開きづらくなって呼吸が浅くなり、蕁麻疹が出て唇も荒れました。(身体に出過ぎだろ)
追加で性加害が多かった時期と同じ時期に親族が交通事故で亡くなっているので、弱っている時に見る交通事故のシーンも追い討ちでキチぃかった〜!!!
そんなもんだから観ては止め、観ては止めを繰り返してやっと観終わりました。
観終わった今も疲れちゃってベッドに寝転がっています。脱力感。

結論
このドラマがこの世にあるという事実で救われました!本当にありがとうございます。
脚本の野木亜紀子さん、監督の松本佳奈さん、小松綺絵役の松岡茉優さん、大嶺桜役の宮本エリアナさん。
このドラマに関わってくださった多くの役者さんスタッフさん。
そして最後になんといっても仲本颯太役のJO1與那城奨さん。
素晴らしいドラマをありがとうございました。
知らないでいたことも知ることが出来たし、見つめなきゃいけないことも少しは見つめることが出来ました。そして何より、救われました。
このドラマを知ったとき、ちょうどジャニー氏の性加害問題がBBCに取り上げられた頃で、事務所も民放も何も変わらず、「この世界はこのまま何も変わらないんだ〜、私がされてきたことに対して社会はダメと言ってくれないんだ」と押しつぶされそうなところでした。
そんな時にTwitterのタイムラインで與那城さんが何かしらのドラマに出ることを知りました。
調べると、どうやら性加害をテーマにしているらしいと知りました。
そのドラマに出演するということは絶対に色々と調べてくれているはずです。
その時期そのトピックについて押しつぶされそうだった私にとって、好きな人がこのフェンスというドラマに出てくれるということは本当に光でした。
感覚としては海底に水面から一筋の光が射し込んだような。
もしかしたら出演発表はそれより前になされていたのかもしれないのですが、私はJO1にハマりたてで、その時が初めて知ったタイミングでした。
JO1にハマったのも、パフォーマンスが入り口ですが、その言動に引っかかる事がなかったのも大きな理由です。
私は日常生活ではめちゃくちゃ他人のそれ関連の言動に引っかかりを感じることがあるのでこれってかなり凄いなあと思います。
きっと活動していくにあたり継続して色々と調べたり勉強していってくれているのかなと思います。いつもありがとうございます。大好き!
ドラマフェンスにて、特に第四話、キーとお母さんの「あの時、お母さんも私も、マブイ、落としちゃったんだよ」のセリフには本当に泣きました。
深夜四時に。布団の中で。大号泣してしまって。
それは自分もマブイを落としてるんやな〜と気づいてしまったから。マブイの拾い方も全然分からないし。
でも、この世にこのドラマがあるという事実に、傷ついて怒っている人は私だけじゃないという事実に、キーと桜の関係に、伊佐が全て呑み込んで「宿題だな」と言ってくれたことに、颯太がPTSDの本を読んでくれたことに救いを感じました。
そういえば私は一回もPTSDの本を読んだことがないので、そのあたりからマブイを拾い始めてみようと思います。
素晴らしいドラマをありがとうございました!

蛇足
以下は私が救われるために私が書く文章です。カウンセリングに行った時に、全てを話すことは心を軽くしてくれると知ったので。全部書いてみようかなと思いました。
あと、特に男性と話すと見えている世界が違いすぎて、びっくりされることがあります。
私は思いました。
女性専用車両いるいらないとか、性加害・ジェンダーへの温度感の差、男性(雑な括りすみません、便宜上)から見て女性(同上)が過剰に敏感に怒っているように見える問題も、ひとえに見えている世界が違うからなのではと。
確かに、重すぎる話なので私も普段そういう話はしません。女性同士では怒りを交えながらよく話しますが、異性相手だと話すとしても凄い仲良い異性にしか話さないと思います。
(話しても「それは可愛いからだよ」とか殴り飛ばしたくなるような感想が友達から飛んでくることもありますのでもう話したくないし。仮に私が可愛かったとして、だから我慢しなきゃいけないんかボケが)
しかしここは匿名の世界。私のカウンセリングがてら思ってることを全部書いてみようと思います。

今思い返すと、一番古い性加害の記憶は幼稚園生の時です。あるいは、小学生上がりたて。
もうダメですね。最初からダメ。嫌な気分になりました。
私は小さい頃から本が好きで本を立ち読みしていました。正確には、お行儀の悪いことにしゃがみ読みですが。本屋さんすみません。
私はお気に入りの赤いスカートを着ていました。本を読んでいる時、違和感を感じました。スカートの裾を引っ張られているようでした。私が後ろを見たら、中学生か高校生の男子がいました。男子はこちらの方をみてはおらず本を読んでいました。
私は「スカートがよじれてたのを直してくれたんだ!優しいな〜」と思ってまた本を読むのに戻りました。そうして暫くするとまた同じ違和感がありました。
この時には性加害という概念があまりありませんでしたし、男子中高生は当時の「逃げなきゃいけない悪い大人」像から外れていました。
それもあってよく分かりませんでしたが、なんだか怖い気がして母親のもとに行きました。
けど、最初は優しさで直してくれたものだと思ったくらいですし、何があったかもよく認識できず、悪いことだったのかも分からず、何をどう言語化したら良いのか分からなくて母には何も言いませんでした。
これが最初の記憶ですが、その後は中3くらいまで飛びます。
私が利用していた電車は痴漢が多い線でした。あるいは満員電車で制服を着ている限りどこも痴漢が多い線なのかもしれません。ムカつきますね。対策が待たれます。
痴漢というと尻を鷲掴みにされるみたいなイメージがあるかもしれませんが大抵は気のせいかも?くらいでやってきます。特に手で触られたりしたら今は微物検査などがありますけども、局部を押し付けてくるタイプなどはおそらく今でも証拠が足りず逮捕並びに刑事民事起訴まで行くのは難しいんじゃないでしょうか。どうなんでしょう。
ただでさえ手で触ったケースでも証拠が足りないがちとは聞いたことがあります。
経験則上この動きは意思あるものかも?と思っていても、痴漢だと声をあげて駅員に突き出すには確証が無い、しかし電車を降りる頃にはやはりあれは絶対わざとだったなと気づく。
あるいは降りざまに触られる。誰だか分かりません。それに、声をあげたとして誰か助けてくれるか分かりません。殴られるかもしれません。力では絶対に敵いません。
地下鉄御堂筋事件をご存知でしょうか。痴漢に対して注意した女性が逆恨みに遭い強姦された事件です。周りの人は怖がってジロジロ見るだけだったそうです。
サンダーバード事件というものもあります。新幹線の中で女性が強姦され、その車両には40人の乗客がいたのにも関わらず誰も助けなかったそうです。
痴漢に遭ったらどうしたら良いか調べる時、そんな事件を目にします。ただでさえ痴漢に遭っている時は怖くて頭が真っ白になるのに、誰がやったかを特定して声をあげて周りの協力を取り付け駅員まで持っていく、これはかなりハードルが高いです。当時の私には出来るイメージが浮かびませんでした。
それに、今思うと「当時の私は凄く怖かったんだ」ということが分かるのですが、当時は自己防衛なのか、そもそも起こっていることへの認識が出来ておらず、言語化もできず、それについての感情が乏しかった気がします。言語化が難しいのですが…。中学生なんてまだ社会の常識も分かっていません。分かる前にそんな事態に遭うのでよく分かっていなかったというか…。
そんなこんなで中3から高3まで痴漢に遭う生活は続きました。遭わない日があったら安心で、一日三度遭うこともありました。
一番何を考えているのか分からなくて怖かったのは右手の小指だけを握られた時です。尻なら分かるし怖いのですがそれは本当に分からなくて怖かったです。
その間、痴漢にあわないよう常に周囲を警戒してみたり、スカートを長くしてみたりなるべく女性の隣に行ってみたり、この人なら痴漢しなさそう!という人の近くに行って予想を裏切られれたり…。削られます。
その当時は両親には言えなかったし、友人にも教師にも言うことはありませんでした。言ってしまうと「ある」ことになってしまうからです。
おそらく自己防衛の一種として、私は痴漢を「無い」ものだと思おうとしました。忘れれば「無くなる」ものだと。
怖いことに向き合いたくなかったからです。向き合わなければ無いものだと思ったから。
あいにく、今もずっと無くならず、「あり」続けているのですが。
この高2、高3の時期に私は部活の部長になり、多忙でご飯を夕方まで食べられない時もあり、力量不足で自分を責め、顧問にも叱られ、後輩からの心配と失望の視線を感じ、卒業した先輩からの心配と諦めを感じ、重圧と自己否定でほぼ鬱一歩手前まで行っていました。そして前述した通り叔父が交通事故で殺されました。
この時にも怖い目に遭うのは続いていました。心が削れている時には更に削られやすくなるのだと思います。
朝の痴漢は継続して。ワンピースを着て海に行けば知らないおじさんから無言で写真を撮られ。鍵を忘れて最寄りのスーパーで座って母を待っていたら「君えっちなこと好きでしょ?」とおじさんに言われ。そんな時でも逆上させないように笑顔で対応しなければならず。
普通電車を待つ時は線路の方を向いて前を向いて待つのに、何故かこちらを向いてじっと待っている何を考えているのか分からなすぎて怖いおじいさんが居たり。
一番ショックだったのは大学生からの加害です。
とある事情で高校生の時に大学のメディアを使っていました。誰もが知っている有名な大学であり、私はこんな頭の良い大学なのだから当然安全だろうと思っていました。信頼していたのです。
しかしあるキャンパスでは座っているスカートの中を盗撮され、もう一方のキャンパスではずっとつきまとわれました。
大丈夫だろうと思った気持ちが裏切られるたび、絶望と諦念が混じります。これが普通で気にしすぎなのかも、と。
刑事手続に訴えれば良かったのに、当時の私は何故か大学からの注意で済ませました。それは恐らく、当時の私は普通が分からなかったから。普通、痴漢はされないものだし絶対に許されない行為です。今だったら分かります。
でも、当時はきっと分からなかった。そして、被害を主張するたびに性加害が「あった」事実に向きあわなければならなくなります。それがすでに削れまくっていた私の心には耐えがたかったのかもしれません。
私はある日タンスの隙間から無数の目が覗いているような気がしてパニックになり、呼吸が荒くなり、自分に痛みを与えていないと落ち着かなくなりハサミを手首に押し付けました。切ることはせず痛みを与えるだけでしたが、暫くすると落ち着いてきました。
その時「ちょっとヤバいのかも」と思いました。
次に変かもと思ったのは大学生の時です。私は恐らく元々の性質としては惚れやすく恋多き女で、幼稚園の頃からもう好きな子が居たらしく、小学生の時にはまた新しい好きな子に告白して1年から6年までお付き合いして(?)いたりしました。同時進行で塾の先生にも憧れたりしていました。
中学校も好きな男の子がいました。そして恐ろしいことに今気づいたのですが、加害に遭っていた頃だけぽっかりと好きな人がいません。
そのことには気づかず、大学生になり。すごく楽しいサークル生活を送っていました。そして、大学一年生の夏、好きな人が出来ました。私は結構自分からアプローチするタイプなので色々誘ったりしてクリスマスにデートすることになりました。大変嬉しいはずです。そして嬉しかったです。
恵比寿のクリスマスマーケットに行った後予約してくれていた渋谷の個室居酒屋に行き、良い感じになって相手の男の子が移動して私の隣に座った時。
私の心に何故かブレーキがかかるのが分かりました。何か分からないけど、近くて怖かった。嫌だった。
何か変だと思いました。半年以上片思いしてきた大好きな男の子です。異常だと思いました。
後から分析するに、恐らく加害にあっていた心の削れが残っていて、他者から向けられる恋愛感情、性的感情と恐怖嫌悪が強く結びついてしまっているのだと思います。この問題は今でも消えていません。この問題は急性でないのでワンストップサービスでも相談できず、カウンセリングに行ってもあまり解決しなさそうでした。でも確実に困る問題なので困っています。
なお、蛙化現象とはメカニズムが違いそうです。
その後、私は自分の心に制御できない動きがあることに動揺しました。恐怖と抵抗は自分で無くそうと思っても無くせません。
でも元々恋多き性質ですし、恋愛関係というものはハッピーなものであるので私も良い人と一緒に過ごしたかった。
「前の人は私が好きだったからダメだったのかも!(?)女は愛するより愛された方が幸せになるとかいうし私を好きになってくれる人と付き合おうかな(?)」という結論に至り、ちょうどその時に二回告白してくれた人が居たので告白をOKしました。しかし、今考えれば分かることですが問題は相手からの好意と恐怖が結び付いていることであり、半年片思いした人でもダメだったのに特に好意を持っていなかった相手はもっと抵抗があるに決まっています。
期待に応えられない重荷に耐えきれなくなり、デートらしいデートもしないまま上記過去を正直に打ち明けてお別れをしました。
本当に振り回してきた人たちに申し訳ない気持ちですね…。でも私もしんどいので許してください…(?)
その後も相手からの恋愛的好意と恐怖が結びついているという問題の本質に気づかず「三つ上のお兄ちゃんみたいな存在なら大丈夫かも!」「年下なら大丈夫かも!」「いや小学生くらいから面識ある同期なら大丈夫かも!」とアタックしては相手からの恋愛感情が向き始めると「あダメだったかも!」となる事を繰り返し、結構なパターンの傍迷惑オブザイヤームーブを繰り返した後に上記問題の本質に気づきました。(なおフィクションなら相手からの好意は大丈夫です)
その時に私は「あもう恋愛するの不可能だわ!」と諦め、やるべきこともありましたのでやるべき事に専念していました。
また、同時並行でもう一つ困った症状もありました。
ネットニュースで性加害やジェンダー関係の酷い言説を見た時に、怒りを止められなくなるのです。遭ったのは私ではないのに。
もちろん、性加害は許されるべきでないし怒りの対象であるべきです。
しかし、普通は怒るという選択も、怒らず違うことを考えるという選択も取れるものだと思います。
私の場合は酷い言説に触れた途端一日そのことしか考えられなくなり、片っ端から訂正してまわったり怒ることをやめようと思っても辞められませんでした。どんなに良い出来事があっても一瞬でその嫌な気持ちに塗り替えられるのです。
普通に時間も取るし、疲れるしやめたかった。
そんな時に、犯罪被害者に関しての授業でPTSDの症状が挙げられていました。
PTSDであるかどうかの判断ができる医者は少なく、基準なども入り組んでいて素人では理解が難しいものだそうなのですが、レジュメに挙げられている基準を見て私はなんと一つ以外大体あてはまっているなと思いました。
この時に初めて「あ私マジでヤバいのかもしれないな」と思って学校併設のカウンセリングに行きました。
カウンセリングに行き、少し症状がおさまりました。酷い言説に触れた時選択肢なく怒り出してしまうのはおさまりました。相手からの好意と恐怖が結びついている問題は和らいでいるものの、残っています。
現行医療制度だとカウンセリングは儲からないらしく、保険適用でカウンセリングをしているところは少ないとか。(間違っていたらすみません)
カウンセリングは高額です。私は学校併設のところへ行っていたので無料でしたが、卒業した今治るかわからない治療に高いお金をかけるのはキツイものがあります。
また、前Twitterで流れてきた漫画にワンストップセンターで紹介してもらった最新の治療で忘れることができたとの記載があったのでワンストップセンターに電話してみました。
急性のものしか案内ができないそうです。一応近くの案内所みたいなところを教えてもらいましたが、あるいはネットでも調べてもらってもいいかもしれませんとも言われました。
ここまで綴ってきて、「無いもの」だとしようとする心の動きはまだ継続しているのだと気づきました。
論理的に考えたらネットで医者を調べれば良いからです。いくら高かろうと自分にとって重要な問題なのだから、一回行ってみれば良い。
でも、ネットで調べることが苦痛です。恐らく向き合って傷がまた抉れるのが怖いから。あるいは、これごとき重要な問題じゃないと言われるのが怖いのかも。
カウンセリングに行った時、「自分にあった事は重大な事だったんだ」と認めることはそれだけで心が軽くなったからです。
どうしたら良いか分かりませんが、とりあえず颯太くんに背中を押されてPTSDの本を読もうと思います。
以上、感謝を込めて。

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