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一日一ノルウェー:5日目


2019年8月15日から9月29日の期間、奨学金を得て、ノルウェーとドイツを周る旅に出た。
これは毎日1日ずつ思い出して書き連ねる、記憶の旅行記である。


2019年8月19日

My Child Lebensbornというゲームの制作会社に行くべく、街へ出た。ホームページからメッセージを2回送ったけれど返事がないので、もう直接行く(!)。しかしふと思いついて、TwitterでDMも送ってみた。そうしたら、何とものの数分で返事が来たではないか。スタッフはみんな休暇中なので、来月はどうかという打診だった。Welcome!と言ってくれている。なんて嬉しい!早速来月にオスロにいるので、日帰りで訪問できると伝えた。やったー取材ができるぞ。

My Child Lebensborn については後日詳しく触れるつもりです。
ナチスとノルウェーの闇の歴史についての教育ゲームです。
http://www.mychildlebensborn.com/about

というわけでこの日は見学が延期となって、次の目的地に行く電車の時間まで予定がなくなった。ハーマルを町ブラする。

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駅前。

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いい感じのインテリアショップ。木とシックなアイアンシェルフと曲線美の花瓶がいいね。

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すごく琴線に触れたオブジェ。私は顔のパーツがない人々の造形が好きみたい。自分で描く人にも顔がないことが多い。制作のインスピレーションはどこに転がっているかわからない。

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これは、可愛らしい子供のセーターのショップと、ちょっとエッチぽいランジェリーショップがお隣どうしの図。性に対しておおらかといわれている北欧らしいのかもしれないなと思って撮った。おおらかというか、当たり前のこととして生活に違和感なく浸透しているという印象。いやらしくなくてすごくいい。入る勇気はなかったけど。

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昼食のために地元の人で賑わう可愛いカフェに入ってみた。メニューはノルウェー語しかないけれど、カフェのメニューくらいなら英語に似ていてなんとなくわかる。

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グルテンフリーのサンドウィッチがメニューにあったけれど、売り切れだったので普通のカンパーニュとアメリカーノを注文した。バジルのソースと鶏肉がうまい。

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お店の中を観察すると、逆に自分が観察されているなと感じた。同い年くらいの女子グループの視線がちょっと気になって、疲れもあり、気分が下がってきてしまったけれど、空間が素敵だったし、スケッチをしたりしてなんとか気を紛らわせた。何か自分のことを言われている気がしたのも、きっと気のせいだ。このカフェが日本にあったら、私の愛する人たちを代わる代わる全員連れて行きたくなるとっても素敵なところだった。

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これは、公立の図書館。映画館と併設されている。窓がでかい、綺麗。

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観光客も入れる。ソファ席で現代アートの本を読んでみた。アートの本は少なめで、インテリアとか建築の割合は多かった。ジェフクーンズのマイケルジャクソン像がオスロにあるらしい。

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おしゃれすぎる、居心地良すぎる。

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電車の時間までまだあるので、湖に面した公園で休む。いい天気になってきた。

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可愛い子。

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ぼーっと過ごしていたら、電車の時間も近づいてきた。これは、チケットのアプリ“Vy”の画面。発車時刻になると、Inspectionが有効になって、それを車内で巡回に来る乗務員さんに提示する仕組み。私はこのアプリのUXもUIも好き。フォントと色が可愛い。オスロ市内のバスの検索とチケット購入にも対応。

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次の目的地は北上して、ノルウェーの中央あたりにあるトロンハイム。さらっとアプリの画面を載せたけれど、6時間も乗車していたことに驚きだ。なんだか森まで北欧デザインのように洗練されていませんか。

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宿のアパートに到着した時にはとっぷり日が暮れていた。それでも8月は夜の9時くらいまで明るい。ホストは中国人のチャンさんで、夜遅くなのに快く迎えてくれた。またしてもいい宿を引き当てた予感。トロンハイムに来た理由は、レーベンスボルンの跡地の家を見学するため。明日から頑張りたいところだが、体調が傾いている。休みたい。あと実はちょっと、帰りたい。


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(ヒトラーの子どもたち|BS世界のドキュメンタリーより)

【レーベンスボルンとは】

レーベンスボルン(Lebensborn:生命の泉)とは、第二次世界大戦中のナチスドイツによって行われたプロジェクト名であり、団体名であり、施設名であり、
このプロジェクトで生まれた子供達の呼び名でもあります。⠀

ノルウェー人に純血性・優秀さを見出したナチスは、ドイツ国民にノルウェーの血を取り入れようとして、ドイツ兵とノルウェー人女性との間に子供をもうけることを奨励しました。1941年8月から1945年5月の間にノルウェーでドイツ兵とノルウェー人女性の間に生まれた子供は約12000人と推定されています。

ノルウェー以外にもドイツ、フランス、デンマーク、ポーランドなどにもレーベンスボルン運営の施設は建設されました。しかし戦後、強いナチスへの嫌悪感情のもと、ナチスと関係を持った母とその子供たちが迫害され、政府もそれに加担したのはノルウェーだけだと言われています。2000年になって初めてノルウェー政府は公式に謝罪し、2004年には子供時代に受けられるはずだった教育の権利や黙殺されたいじめに対しての補償が決まりました。

お読みいただきありがとうございます。今日も生きます。