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#5 邪視随筆「勝ちを賜れ、太陽は退かぬ」

末吉安恭が南方熊楠に宛てた大正七年六月の書簡より
「災怪に逢ふ時は、左手の人差し指を立てて胸腹の上に置き、又右手の人差し指を立てて腰背に置きて歩せば、災怪を避けると申し候」。
No.3で書きましたが、「指」は時折、邪視避けの咄嗟の護身として使われます。
霊が恐れる刃物に見立てた、という説も。琉球各地にこの伝承が残されているそうです。

大和には 群山あれど とりよろふ
天の香具山 登り立ち
国見をすれば 国原は
煙立ち立つ 海原は
うまし国そ あきづしま 大和の国は

この万葉集第一の中にある「国見」には、ただ視るものではなく呪術的な物言いが含まれていると論じられています。
古代においては眼にうつるものとは単なる感覚的な行為ではなく生命力であり、「見る」ことは一種の感染呪術に他ならないという主張がなされています。

こういった風習から名称がなくとも漠然とした邪霊への対抗策として「幼児の額に犬と書き笛を鳴らす」「馬屋から糞を持ってきて病人の側に置く」「泥草履を枕元に置いて眠る」───鬼は不浄を嫌うので畜生・排泄物・汚物等の穢で浄化しよや、という社会的意識が日本全域に伝播→顕現しました。
相対して同時に「綺麗で純粋なものは侵されるしかない」とも考えられますね。

まさに、バケモンにはバケモンぶつけんだよ(映画「貞子vs伽椰子」から抜粋)、です。


『琅邪代酔編』巻二に「後漢の時、季冬に臘ろうに先だつ一日、大いに 儺(おにやらい)をする。これを逐疫という、云々、方相氏(ほうそうし)は黄金の四目あり、熊皮をかぶり、玄裳朱衣して戈(ほこ)を手に持ち楯を揚げる。十二獣は毛角を衣(き)るあり、中黄門これを行う、冗縦僕財これを将(もち)いて以て悪鬼を禁中に逐う、云々。その時中黄門が、悪鬼輩速やかに逃げ去らずば、甲作より騰眼に至る十二神が食ってしまうぞと唱え、方相と十二獣との舞をなして、三度呼ばわり廻り、松明を持って疫を逐い端門より出す」
中略
「方相の四目もそんな理由で、いわば二つでさえ怖ろしい金の眼を二倍持つから、鬼が極めて方相に恐れるのだ。方相が十二神を従えて疫を追う姿は、『日本百科大辞典』の挿画で見ることができる。しかしながら後世、方相の形がいたって憎らしげなので、方相を疫鬼と間違えたとみえ、安政またはその前に出た『三世相大雑書』などに、官人が弓矢で方相を追う様子を図したのをしばしば見た。ただ今拙宅の長屋に住む人もそんな本を一部持っているが、題号がなくなっているので書名を知りがたい。」
(南方熊楠「邪視について」)

この記述から…四目つまり妊娠中の動物や奇形など、本来の人の形から離れた忌避なる存在たちが特別な力を持っているとし、退魔へのレスポンスに霊媒の役目を担わせたのかもしれないな、と、想像を膨らませました。


沖縄の古い方言に「グソウムドイ」って言葉があります。
「黄泉から戻ってきた人間」って意味で、まだ殯の風習がある島とかの、ユタ(所謂巫女)さんが使うんです。
グソウは久高島のとある墓地地帯の名前。本土の言葉にすると「後生」。

後身還り。現世の異物。
どちらでもない存在、幽霊や神様とはまた違う種類。

お話は、そんな沖縄に戻ります。

漁網は盾の呪具に使われました。悪霊憑依を防御する為の結びの民俗でした。

天網恢恢疎にして漏らさず(悪は天の張る網の目からは出られぬ)というように、
籠や格子含め、祈りを込めて編み込まれた形には邪視を封じる能力があったようです。

隙間からあらゆる目が見ている、故に疫病神が入ってこない…という慣習。

人々は死ぬとマブイ(魂)がニライカナイに行くのですが、海の彼方より境界を超えて戻ってきます。その際に漁師は日常で魂守としても働いていたのではないでしょうか。

こんな葬送歌があります。

ニルヤリューチュ、ウシュキティ
ハナヤリューチュ、ウシュキティ
フガニジャク、ハミヤビラ
ナンジャジャク、ティリヤビラ

〘意味〙
歳を取り寿命尽き肉体は煙となった。だがまた遊べるから幸せだ。ニルヤカナヤ、東大主様、どうか盃をくだされ。金色のものでも、銀色のものでも構いません。

この唄は一般の神女や村人には歌われず、「クニガミ」などの神役のみに唄われるといいます。
海は何処までも渡る架け橋、大地は魂が帰って来る扉。
また会いましょう、必ず会えましょう。
そんな死後への想いが、沖縄の人々の美しい魂に刻まれているのです。


作品紹介。

ニルヤ、まさてちよわれ-1

【ニルヤ、まさてちよわれ。(沖縄独自の方言を尊ぶ為、英訳を禁ずる)】

ニライカナイとは、太陽と月に関係のある独立した精霊のことである。
ニルヤは豊穣をもたらす国神であり、火を司る。
悪しきものを閉じ込める、あがるい(東)の曙である。
沖縄民は太陽の居所を穴の暗がりの中と考えた。
日中は天に輝いて世を照らし、夜は穴に篭ると。
時に暗がりから世界を見下ろし、地の底で真っ赤な瞳をこじ開け、人々と自然の暮らしを捉えてきた太陽ニルヤ神。 

その姿を見た時、「我々は滅びぬ」と勝利を確信した人々がどれだけ居ただろうか。


問い合わせ先→ #乙画廊
https://otogarou.theshop.jp/

ご高覧お待ちしております。



参考文献資料
「目のフォークロア 兆・応・禁・呪のひとつの基盤」小池淳一
「琉球の死後の世界」崎原恒新
「小児と魔除」出口米吉
「邪視について」南方熊楠

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