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強い人ではなく,やさしい人だからこその出禁:僕のマリ『常識のない喫茶店』(柏書房)

原稿が進まないときに限って,関係ない本を読んでしまう…。

でも,そういうときに手に取る本にかぎって,原稿をすっきりと断念させる魔力がある。今日,読んだ本もまさしくそうだった。

僕のマリ「常識のない喫茶店」(柏書房)

今年一番,心が動いた本。
まだうまく言葉にできないのですが,あふれまくる感動を以下に少々。

「働いている人が嫌な気持ちになる人はお客様ではない」という喫茶店で働く20代女性のエッセイ。キモイ客は容赦なく出禁するというすごい喫茶店の話。しかも出禁できるのは,それぞれの従業員の判断。
本書のなかでは,失礼な客,やばい客,きもい客を,次々と出禁にするエピソードが繰り出される。いや,出禁だけではなく,嫌いな客に挨拶をしない塩対応なども続々と。いやいや,すごい。

こうすると,なんだか開き直ったやばい失礼な店にも思えます。実際,本のタイトルが『常識のない喫茶店』と名付けられていることからも,そう思えます。

だから,ここだけ切り取ると,やばい客を切り捨てる「スカッと」系のエッセイかと思われるかもしれません。実際に,そう読み取られる可能性もあるかと思います。でも,全くもってそうでもない(まぁ,でも,斬り捨てまくっているけど笑。でも,それでも,溜飲を下げて終わる内容では全然ない)。

追記:この記事を書き終えて本の帯を見たら,「溜飲下がりまくりのお仕事エッセイ」と書いてますね笑。あぁ,すんません。いや,確かに溜飲は下がるのですが,それだけでないというか。

スカッと系のエッセイじゃないと言える理由は,マスターによるバイトの採用基準にあります。基準は「やさしさと思いやりのある人」とのこと。え?出禁にできる人だから,強気な人とか,意見をはっきり言う人じゃないの?出禁とのギャップがすごい!

そのギャップは,気力も体力も勇気もいる出禁の原動力をみるとわかります。出禁にする原動力は「怒り」や「上から目線」ではないのです。いや,まぁ,怒りもあるけど,それが根本ではない。

出禁の原動力は,やさしさ。自分の嫌な気持ちに蓋をせずに素直に嫌と思い,自分を大事にするやさしさ。そして,もう1つの原動力は思いやり。同僚や店にきたお客さんを大事にしようとする思いやりの気持ち。だからこそ,自分たちを自覚的・無自覚的に傷つけてくるやばい客と戦えるのだと著者は魂とユーモアで語りかけてきます。

溜飲をさげるのとは違う,やわらかな読後感。出禁の底に,自分たちを大事にしようとする愛と強さを感じます。

以下の文章,いいですねぇ,というかすごいなぁ。

出禁にするのは体力も気力も消耗する。二十代の女というだけで下に見られることが多いわたしたちは,少しでも抗議の声を上げただけで「生意気」「店員の躾がなってない」などと攻撃されてしまう。ネットに好き勝手書かれたり,ひどいときには無視もされる。それでも戦い続けるのは,自分や働く仲間と大切にする強さを身につけたから。(p115)
この世の中は狂っている。悔しいがそれが事実だ。でも,だからなんだんだ。何の主張もせず,狂った奴らの言いなりになって働くのか。店員だから格下なのか。お客様だから何をしてもいいのか。若い女だからなめられても仕方ないのか。わたしは日々考え続けた。小さな喫茶店で働きながら,色んなことを自問自答した。間違っていることを間違っていると言えない弱さは,のちに自分を苦しめることとなる。どんな相手でも対等であること,嫌な気持ちに素直になること。そういう当たり前のことをやっと思い出せたから,「常識のない」人たちを出禁にし続けることができた。(p115)

本書終盤部では,この喫茶店に吸い寄せられるように働くなった著者の履歴がつづられる。

就職して精神的においつめられた著者が,やさしさと思いやりをもつマスター・同僚がいる喫茶店を通して回復していく物語だったことがわかります。同時に,今の日本の社会が狂っており,その狂気ともいえるしわ寄せが,若い女性におしよせているという縮図を喫茶店のなかにみることもできます。絶望と希望とないまぜに,でも,それでも,希望を感じられる本。

思春期の娘たちにも手にとってほしい本ですねぇ。


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