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みすず飴と叔父と一つ覚え


次女の食はブームの色合いが濃くて
クリームパンばっかり食べる時期があれば
朝食はご飯と納豆がマストな時もあるし
チーズオムレツが食べたーいって
朝のクッソ忙しい時にいうかと思えば
飽きてしまえば箸もつけない
あれ?オムレツ好きじゃなかったっけって訝しがっても
ううん、もう好きじゃないなんて
ニベアもない、いやニベもない

それでも好きなものを食べさせてあげたいと思うのが
指圧の心 母心だから
今だったら イチジクのジャムと四葉バター
紀州の蜂蜜梅干し
野沢菜のおやき 
蜂蜜 ヨーグルト
玄米茶のティーバックなんかは切らさないように買っておく

それでもあっさり他に好きが移って
売れ残ったクリスマスケーキみたいに冷蔵庫でイジケてる
昨日作ったスコップメンチを仕方ないから食べているけど

この前まで作って作ってっていうから
スコップメンチ作ったのにさーなんで食べないの?

えーだって 飽きちゃったからー

なーるほど(怒)
それもそうだブームだもんねと納得してしまいそうになるけど

ふと小学生の頃
武蔵小山の叔父の家に行くと
いつもお土産にみすず飴を妹に一つ、私に一つと買っておいてくれ
持たせてくれたのを思い出す

何で同じものを2つもくれるんやろ
こんなに大きなみすず飴をふたつもくれるなら
もう1個は別のお菓子をくれたらよかったのにと
不遜なことを思っていた

みすず飴は表面はオブラートで包まれた果物味の一口ゼリーで
ゼリーと言っても寒天のゼリーだからなんとなく和菓子っぽくて
なんとなく年寄りっぽくて
子供の舌には多分もっとわかりやすいお菓子で良かったんだと思う
その美味しさが分からなくて

またみすず飴かと
行く前からもう貰える決定のお土産がなんだか恨めしくて

みすず飴じゃなければいいのにな
なんでオジサンいつもみすず飴なのかなと
みすず飴憎しな子供だった

それでも叔父の家に行く母に毎回ついていったのは
武蔵小山には巨大なアーケード商店街があって
子供のいない叔父夫婦が帰り道は駅まで送ってくれて
好きなものを買っていいんだよと
商店街のおもちゃ屋さんやら文房具屋さんや
靴屋さん本屋さんで大判振る舞いしてくれるのを
知っていたからだった

なんと現金な子供だと恥ずかしいけど
正直になってみればそんな不純な子供だった

今になってみればわかる
叔父がみすず飴を毎回買って
姪っ子たちが来るのを楽しみに待っていたことを
多分私たちが最初にみすず飴を食べたときに
美味しいと言ったんだろうと思う

叔父はそれが記憶にこびりついて
喜ばせたくて、喜んでほしくて毎回毎回
それは叔父の故郷長野県上田の銘菓なのだけど
用意して今か今かと小さな女の子が二人来るのを
待っていてくれたんだと思うと

Amazonでポッチって何でも翌日配送される時代じゃない
そもそも論叔父はどこまで長野銘菓のみすず飴を買いに行っていたんだろうと
懐かしい自分の故郷の味を食べさせたくて
わざわざどこかに買いに行っていたに違いないと思いが至る

展示を見に松本を訪れたときに
ああ、と久しぶりにみすず飴をみて
胸がきゅんと締め付けられて
武蔵小山の平屋の小さな叔父の家の
樟脳の匂いが鼻の奥にしたような気がする
絶賛花粉症な金曜日の夜に

ああ何もいらないと思えるくらい幸せ
今あるものだけで十分なんだ





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