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天使が通る

情報垂れ流し検索しまくりの日々に沈黙が訪れる隙間が少ない今日この頃苦笑、それでもふとした瞬間に全員が黙り込み、沈黙が訪れたときのことを、天使が通ったというけれど、偶然に起きる他者との一致に何か不思議な力が働いているような気がして、ちょっと気まずくなるし、それは自分たちでコントロールできない何か、霊的な存在を確かに感じさせる。

例えばnote を始めて、大海の中のひと雫を掴んだような気のする記事に出会ったとする。それは偶然なのかと言うと、否。最初に登録するときにお伝えした個人情報・私のスリーサイズに従って笑、好きなこと興味のあることをソートにかけてアリゴリズムがオススメしてくれた精度の高まった偶然なんだろう。それでもやっぱり、出会えたことは運命なんだと思いたい。

地球上に何十億と言う人がいて、実際に出会える人の数は限られていて、こうやってnoteですれ違うことはきっと、袖振り合うも他生の縁なんてもんじゃなくて、確率、数字的には天文学級ににレアで特別なお導きなのかもしれない。(特定の宗教を信仰していませんが、強いて言えばRAD教で野田狂です)

バスや電車に乗り合わせた人の顔を見ながら、今日乗り合わせたことも結構な縁だよなと思ったりする。すぐに運命だ!とか伏線とマキビシを自分で蒔いて、自分で回収して大喜びし、自分で踏んづけて痛いと言って泣いているおバカさんだけど、縁起とか、今生とかそういう考え方が好きだ。前世の誰かにここまでありがとうお陰で楽しく生きられたよと感謝して、今世で捻れやヨレや歪みを少しでも直して、次の私に、ちょっとシワ伸ばしときました!と私を渡したい。

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