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うだうだと自分語り

私は私はと連打して生きてると笑
ふと思い出す
ジュリー・アンドリュースの歌う
マイ・フェイバリット・シングズ

多分小学校の音楽でビデオ観せられてるんじゃないかなあ
こういうのも世代によるのかもしれん

私の好きなものを列挙して連ねて歌い上げて
そういうもので私はできていると思わせて

子供心にも自分でも好きなものを
ジャポニカ学習帳書き出してみたけど
なんだかパッとしなくて
歌詞の世界のようには
現実は生きてないのかなと
思ったり思わなかったり

ああ多分好きって感情を
まだうまく放出できない子供だったんだろうな
なんてったって赤毛の赤毛は
赤毛のアンからの借用だから笑

うまく笑えない
素直になれない
意地っ張りで
アタシは誰からも好かれてないって

いや、そうじゃないだろ
お前は誰が好きなんだよ
ちゃんとギルバートに告ったのかよって

ツッコミどころ満載の子供時代

今は好きなことのことばかり考えて生きている
といっても華厳ではない あ、過言

嫌いな人とか
嫌なこととかは
あんまり考えない
自分の脳ミソの狭いキャパを
そんなことに座らせる椅子はないから
お引取り願う笑
ブブ漬けだして笑
ほんとに京都の人に言われてみたい
そして長居してやる笑
いや冗談
本音と建前を使い分ける人は苦手だ
勿論仕事で推し量ることは必須のスキルだから
出来ないわけじゃないけど

そういうクイズみたいな
匂わせにも虫酸が走る
そういうゲームを上品とは思わずに
不毛だと思うから

だからわかった上で
長居する
お代わりしちゃおかな
暗黙の了解もコノテーションも嫌いだ

いいたいことがあるならいえばいい
けど いったってつたわるかなんかわかんないよ
じゃあ せめていおうって

私はと切り取って
ペタペタ私でコラージュするけど
ふと気づけば
私に切り取られなかった
形が足元に散らばる

ん?はて?

私の構成要素は私だけ?
私は私の選んだものだけで出来ているの?

子供の頃の感覚が蘇る

私になる前の私
私に切り取られなかった私も含めて私
私に境界線ってあるのかな

選べなかった道
語られなかった言葉
手にすることが叶わなかった恋
選ばれなかったという現実
見ることを諦めた景色
捨てたつもりの夢

選んだものだけで自分ができていると
思うときの自分は
なんだか解像度が荒くて
スカスカしている

そうだ
私は私だけでできているんじゃない
ひとりでなんか生きられるわけないし
私の中に私を構成する沢山の他者がいるし
他者の記憶の中にも小さく私がいる

そしてなにより
私は私を選んで生まれてねえ笑
父と母の営みの組み合わせの結果
ぽおんと裸で産み落とされた私は
始めっから戸惑っているし
アムロ行きますの自己選択もなく
意味もなく
生を受けている

私、私って叫び散らかすのは
そうしていないと
私の存在証明が出来ないくらい
鼻糞みたいにちっぽけだから

自己中に私ばかりを主語に書いているけど
徹底的に自分と向き合わない人が
他者と向き合えるはずもないと思うし

小っ恥ずかしくなるくらいに
イクツニナッテモ自分語リが止まないのは
やっぱりあなたのことを知りたいと思う
その好奇心と背中合わせだと
支離滅裂に右脳に連座して思いが錯綜するのは
昨日のライブのせいだ

曲はpeople in the box
聖者たち








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