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【note限定エピソード】田舎まで、デンデケデケデケ ―ビートルズに熱狂した新居浜・西条の若者たち

『青春デンデケデケデケ』という小説があります。
香川県が舞台の青春小説で、1991年に直木賞を受賞、翌1992年には映画化されるなどした芦原すなおの名著です。ザ・ベンチャーズのエレキサウンドに「電気的啓示」を受けた主人公たちが、ロック漬けの高校時代を送る様子がコミカルに描かれています。
この作品で描かれているのと同じく、ステレオから聞こえてくる音楽に「雷に打たれたように」衝撃を受け、音楽に没頭した高校生は全国各地に数知れず。「雷」の送り手は、1950年代後半にデビューした‘キング・オブ・ロックンロール’エルヴィス・プレスリー、「パイプライン」のテケテケサウンドが日本中を駆け巡ったザ・ベンチャーズ、そして、今回のエピソードの主役であるザ・ビートルズでした。

1966年にビートルズが来たんでね。それを機に一気に日本がGSが流行りだすんですよ。ビートルズが来たのが中学校1年のころでしたけど、中学校2年のときに、ぼくはグループサウンズにどっぷりハマって。日本では、ザ・タイガースやザ・テンプターズとか。中学校2年のときからバンドを組んで、いままでやってるんですよ。
一番、そのころがバンドブームだったんですよ。それまでも、ジャズとかハワイアンとかやってた人はおったですけど、ほんとにあの、ビートルズが日本に来て、日本の音楽がバンと変わったですね。まずは田舎まで、ベンチャーズと一緒に、テケテケテケテケ、いうて。みんな、中学生だから丸坊主でバンドやってたからね。

1966年6月29日に、初めて日本の地を踏んだビートルズ。言わずと知れた、イギリス出身の伝説的バンドです。来日の際に航空会社の法被を着てタラップを降りる姿は、今でもたびたび来日の代名詞のように紹介されています。
このビートルズ来日を機に、日本では「グループサウンズ(GS)」と総称される音楽グループが次々と登場。リスナーとしてレコードを買い漁ったり、コピーバンドを組んでみたり。多くの若者たちがそれぞれに、音楽漬けの毎日を過ごしました。

昭和30年代は、多くの家はレコードプレーヤーだったんですよ。で、ちょっとお金持ちのところは「ハイハイ」いうて、オーディオセットみたいなのを持ってて。私が大学入った時は、コロンビアのステレオを持ってたなあ。高校の時は、持ってる人のところへ、行って聞かせてもらう感じ。プレスリーとかビートルズとか。喫茶店ではGS全盛で、「風(1975年デビューのフォークデュオ)」とか「ガロ(1970年デビューのフォークグループ)」とかが流れてたなあ。
で、そのあとはカセットテープ全盛の時代ですね。あと、ラジオ。夜の。1時2時まで勉強して、私なんかは、オールナイトニッポンを聞きながら。そんなの聞きながらだと集中できない、という人もいましたけど。
GSなんか、要するに不良の象徴やと。不良がやることやと。バンドなんかしよったのは、間違いなく不良。でも、僕らのバンドは生徒会の副会長と、体育委員と、風紀委員とがおったんですよ。だから、お前らは音楽室を使えと。もちろんこっそりね。
そのころは時代がよかったでしょ。「中の上意識」みたいなのをみんな持ってたし。銀行勤めてるとか、ちょっとした企業の人なら、「となりがピアノ買ったら、うちはグランドピアノ」とか、競い合いの空気があったよね。だから、そういうところの子はすぐにギターなんか、アンプと一緒に買ってもらったんやけど、ドラムなんか高い。でもたまたま、うちのバンドのドラムは、親が電力会社の技術者やから、親も頑張って買って。だからたぶん、その子も相当必死で練習やったと思いますよ。
でも高校に入った途端に勉強をせないかん、バンドなんかやってるわけにはいかん、いうて。で、そのころにGSブームがさーっと去って行って、フォークブームが来るんよ。ギター1本で歌え、という感じ。だから高校のときは、あんまりバンド活動ができなかったんだけど。
で、大学に入って。大学の入学式のときに軽音楽部の門をたたいて。で、それから4年間は音楽しに大学行ってたようなもんよ。だから、僕は「大学は何学部卒業?」と聞かれたら「軽音楽部卒業」と言ってるんです。

後半で紹介したかつてのバンド少年は、いまでもビートルズを愛して止まない、現役のバンドマン。高校当時にバンドをやっていたのは「目立ちたい、モテたい」という動機も大きかったと回顧します。

バンドなんかしよったやつは、間違いなく、女の子にモテたいわけよ。なにかで目立ちたい。で、バンドやってると、それを好きな女の子がいっぱいおるわけで、そういう女の子からはとりあえず、モテだすんよ。だいたいバンドやってる人の半分はね、それ。
途中からは、なんとなく風潮で、ベースがかっこよかったりね。ベースが黙って弾いてたら、一番モテるんよ。ギターとかボーカルはMCでしゃべるから、だんだんとボロが出るんよね。だけど、ベースは寡黙だから「かっこええわあ」言われたりして。
で、キーボード弾く子は少なかった。当時僕らの時代、キーボード弾けるのは、ピアノが家にないとあかんから、だいたいええとこの子なんよ。だからどっちか言うと、ちょっとイメージ的に、モテなかったね。だからエレキバンドは絶対、ギターやったね。で、インストゥルメンタルなんかは、ベンチャーズみたいなのは、もう全然モテないの。

令和のいまは、当時と比較すると驚くほど安価で手軽に、音楽を聴くことができる時代。あらゆる場所であふれる音楽を、聞き流してしまうことも日常茶飯事な時代。「擦り切れるまで音楽を聴く」というのは、名実ともに死語なのかもしれません。
しかし、多くの人が文字通り「音楽に突き動かされていた」このような話を聞くにつれ、たまには真剣に「擦り切れるまで」音楽を聴いてみたい、と昭和時代の「音楽への熱狂」に羨望すら覚えてしまうのです。

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