AIは想像するのか...

今回は、AIについてふと思ったことを書きます。
ChatGPTやBingAIなど人工知能の活用が身近なものとなって来ました。
そのような中、流行りものが好きな私もChatGPTを使ってみました(課金はしていませんので、Ver.3.5でしょうか ?)。
使用してみた感想としては、「これはすごい」の一言です…が、よく言われているとおり、間違いも多く見受けられることから、仕事等で使うにはもう少し時間がかかるのかなと思います(いえ、Ver4.0にすればよいのかもしれませんが…)。
とは言え、自分が作成した文書をAIで校正したときなどは、文書の構成、表現の在り方など非常に参考になりました。原則自分が作成したものに対して構成や表現を直してもらうので、内容に間違いがないのが安心です。ただし、文書が直されニュアンスが変わってしまうケースもあったので確認は必要だと思います。
noteでも、AIアシスタント(β)が導入されていますが、使い方によっては活用する機会が増えるのだと思います。

さてそのような中、AIの活用について話題に上がるのと同時に危険性についても話題になっているようですが、ここでは、私が唐突に思ったことについて書こうと思います。

AIは想像するのか…。

ChatGPTは蓄積型AIだと言われているようで、使えば使うほど賢くなり様々な回答が導き出されるのだと思います。
ただし、それはあくまで私たちが与えた知識の集合体であり、与えられたデータの中から適切な答えを導き出しているだけではないか…たしかに、ChatGPTやほかのAIでも、未来予想に関しては「仮定の話ですが…」と表示されますが、これは予想や想定で、想像ではないと思います。
結局、自我を持たないAIが「こうすれば…こうなったら…」などと考えることはないのでしょう(確かにアニメや特撮などでは、AIが自我を持つことはよくあるけれども。)。
ただし、現時点では、AIは想像できない…それが結論なのかな。
まあ、素人の意見ですけでど。

私にとってAIは、客観的なアドバイスをくれる存在、それを参考に最終的に自分自身が判断する。例えて言うと、歴史シミュレーションゲームにおける軍師的な存在だと思っています(孔明先生レベルだと安心できるのですが…まだそこまでのレベルではないかな)。

では、この辺で…読んでいただいてありがとうございます。






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