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別れと「大好きだよ」

温かくなり、別れの季節の匂いが漂って、
ワクワクしつつも、なぜか心がこそばゆい
そんな感じがしてきました。


1年ちょっと前から、
保育士として働かせてもらっています。

もうすぐ、ここでも卒園の季節。

実は母と同じ職場で、働かせてもらっています。

資格を取る前から、働く前から

「この子が今日はこんなことを言ってて」
「〇〇ちゃんの、こんな姿が可愛くて」

そんな話を聞いていると、
どうしても会いたくてたまらない子たちが
居る場所でもありました。

そうして、出会えた今の場所があります。



他の先生方の手前恥ずかしいけれども。
全くの未熟者で、
他の先生方と比べて、かけれた時間も、
できたことも本当に小さいけれども。


温かくて笑顔溢れる
偉大な先生方の支えがあって、
こんなにも可愛くて、
愛に溢れた子どもたちに出会えて。

私が保育所という場所で過ごすことができて、
純粋に、純粋に、とっても嬉しくて、幸せです。


だから、この卒園の時期。
お別れするのが、とっても寂しいと
離れがたく思ってしまいます。



***


今までも、
沢山の人とお別れしてきました。
その度に、悲しくて、寂しくて。


私をよく知ってくれている人は分かるけども、
本当はとっても泣き虫で、
ついつい心が溢れるごとに泣いてばかり。




大人になってからも、
別れ際、しゃくりあげながら泣くこともあったし、

いっぱい人がのる電車の中で、
ボロボロ涙がこぼれ落ちてくることもありました。

今までの当たり前がなくなることに、
急に自分の足元がぐわんと落ちていく感覚に襲われたこともありました。



何度別れを繰り返しても


お別れは、やっぱり悲しく、寂しいと感じます。


でも、その苦しくて、ぎゅっとなるその感覚を
無くさないでいようと、思うのです。




当たり前が、なくなる時。

この笑顔と、声と、温もりを近くで
感じられなくなる時。


なんども、思います。
心をいれこまなければ、傷つかないかなって。
心に壁をはってみようかと考えます。








それでも


やっぱり私は心をこめたいと思います。




悲しい時は、
素直にいっぱい悲しもうと思います。



寂しい時は、「大好きだよ、愛しているよ、ずっとあなたのことを応援しているよ」と伝えようと思います。


身が引き裂かれそうな時は、
「ここまで好きにならせてくれて、ありがとう」と伝えようと思います。

言葉にならない時は、ぎゅっとハグして、握手して、あなたの目をみようと思います。





それが、わたしが納得のいく
生き方のように感じます。




**




あぁ、そっか。
だから、笑顔でお別れ"できる"のか。



歌の歌詞で、「笑顔でお別れ」するという
フレーズは、よくあるけども、
なぜ悲しいのに、
無理して笑顔でなくてはいけないのだろうと、
ずっと腑に落ちない言葉でした。




"無理に"じゃなかったのか。。



悲しい、寂しいという感情が、
愛と感謝をいっぱい伝えてねって、
そんな合図を送ってくれているようだと、
ポトンと今、心に落ちてきました。



卒業ソングが好きな母が、
ふと、流してた合唱ソングが頭の中に蘇ります。

きっと、歌ったことがある人も多いはず。


〜〜〜

「おそすぎないうちに」

なくしてしまってから その大切さに気づいて
悔やんだり 悲しんだりしても遅すぎるよ

もしかしたら 一番この世で大切なものは
ふだんあまり身近すぎて 気にもとめていないかも

今あるすべてのものは 当たり前なんかじゃなく
今あるすべてのものが 奇跡的にあるとしたら
君はどうやってそれを守るだろう

おそすぎないうちに まにあう今のうちに
できるかぎりのことをしよう
生まれてこられた お礼に

なくしてしまってから そのあたたかさに気づいて
悔やんだり 悲しんだりしても遅すぎるよ

もしかしたら 一番この世で大切な人は
当たり前と決めつけてて いると疑わないかも

生きているすべての人は なんとなくなんかじゃなく
生きているすべての人が ぎりぎり生きているとしたら
君はどうやってそれを愛すだろう

おそすぎないうちに まにあう今のうちに
できるかぎりのことをしよう
生まれてこられた お礼に

〜〜〜






遅すぎないうちに。
ありがとうって伝えるから。
悲しいけども、
やっぱり出会えて嬉しかったことの方が多くて。

そして、
そんな大好きな人が歩んでいく未来だから、
もう一度会えなくても信じられる。


だから、最後には笑顔でお別れできるんですね。




そういえば、
私の尊敬するペンキアーティストのShogenさんが、アフリカのタンザニアの村で修行している時のお話しでこんな事を聞きました。

お世話になっていた村人の方が亡くなり、
その方の葬儀に出席したそうです。

Shogenさんは、そこで涙を流したそう。
日本では、それが当たり前かもしれません。

でも、タンザニアの村の方から
こんな言葉が返ってきたそうです。

「そんなに簡単に、泣かないでくれ。
君は、そんなに中途半端に
故人と付き合ってきたのか。
だから、後悔が残って泣けてくるのだ。」と

村に住む人たちは、

亡くなった人が、
よく生ききったねって、死を喜べるくらいに、
どこまでも一緒にその人の人生に寄り添っていたのかとしれません。

毎日に後悔がないくらい、
愛しているよ、と表現しているのかもしれません。





でも、ついつい私は
愛してるよを表現し続けることが、
恥ずかしくなったり、
怠けてしまったり、してしまうことがあるから

やっぱりこの悲しいと想う感情を大切に、
遅すぎないうちに、言葉で仕草で、
目で伝えていけたらと思います。


そんな事を考えていた今日と最近のお話しです。




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