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交換日記#08【ストレス社会の負け犬】byあかちゃん

あおちゃんへ

お久しぶりです。
前回のあおちゃんの投稿を読んでから、私の最近の謝りたいエピソードを考えておりました。でもなかなか見つからなくて、noteを書くのを1週間放置してしまいました。

1週間かけて謝りたいことを探したのが人生で初めてだったので、なんだか不思議な気持ちになりました。
性格上謝るのも謝られるのも好きではないようなので、私には見つけられなかったけど、この何気ない1週間の私の生活を他の誰かが振り返ると謝るべき場面がたくさん見つかるかもしれないし、または謝るどころか傷付いて元気をなくすようなこともあったかもしれません。

このことを考えて初めて、自分と他人がどれだけ切り離された存在かと言うことに気付きました。
自分ですら謝るべきなのか そうでないのか、怒るべきなのか、我慢するべきなのか 分からないのに、他人の行動を制御しようとしたり、憶測したり、それによって疲れたり悲しくなったりするのって本当に取り越し苦労なんだなぁと思います。
「人は変えられない」とか「気にするだけ無駄」という言葉の意味としてはずっとわかっていたつもりですが、やっと本当の意味で理解したと言うか、腑に落ちたという感じがします。

長くなりましたが、つまり何が言いたいかって言うと、人には人の乳酸菌があるし、人には人の感覚があって、みんなそれぞれだよねってことです。
何だかいい機会をくれてありがとう。

「会社」と言うまとめられた社会の中に入ってしまうと、ひとつひとつの行動が、世間の感覚と比較されて評価されているようですごく窮屈に感じます。
そして、その窮屈さと言うストレスを感じながら、自分も知らぬ間に誰かにストレスを与える存在になっていると思うと、ぞっとする瞬間があります。

私たちは皆ストレスの爆弾を受けとっては、また他人にパスしながら回していく爆弾ゲームをしているようです。そのストレス爆弾いつ爆発するかは誰にもわかりません。
たまに、ストレスに負けてしまった人を見て、心が弱いから とか、俺の時代はもっと厳しかったと言う人もいるようですが、結局その人は上手に人に爆弾を回していただけで、ちょっとタイミングが違えばどこかでストレスに負けて、社会から逃げ出していたかもしれません。

あぁ、人間として生きていくって、最終的にはストレスとどう向き合いますか?って言う問いに対する自分なりの答えを見つけ出す事なんじゃないかな と感じる今日この頃です。
なんだか大層なまとめ方をしてしまいましたが、猫や犬や他の動物のように、寝たいから寝る。という生活ができないサイアクな動物に生まれててしまった以上は、そんな哲学的なことを解きながら色々 わかったふり をしてやり過ごしていくしかないのでしょうね。

ところで、あおちゃんにはストレスだらけの社会生活を乗り越えられる「なにか」はありますか?
例えば、どんなに忙しくても私生活だけは譲らないとか、毎週絶対やるストレス解消法とか、自分を見失わないための確固たる意志みたいなものです。

私よりずっと猫や犬に近い自由な感覚を持っているあおちゃんなら、何か面白いこだわりがあるのかなと期待してしまいます。是非おすすめのストレス解消法を教えてください。
ぜひお返事待ってます。

負け犬にもなれないマケ人間 あかちゃんより

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