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交換日記#09【桃栗3年柿8年とかほぼ嘘じゃん 】byあおちゃん

あかちゃんへ

梅雨はどこへ行ったのでしょうか?
2週間ほど前に梅雨がやってきた!と書いたつもりでしたが、ここ最近は太陽が燦々としています。
時が経つのが速くてよく分からない焦りのようなものを感じます。

2年と期間を決めたこのルームシェアも気付けば
3ヶ月が経ちました。
あかちゃんが前の家から持ってきてくれた
マキタの掃除機に感動して「毎日掃除する!」と宣言したあの日の私も
今は昔、ゴミ吸いの翁ありけり になってしまいました。

諸行が無常すぎて困りますね。



ストレスとどう向き合うかが人生
ということについて、たしかになぁとなりました。


ストレス社会の爆弾は丁度今、私たちの世代で大爆発を起こしている気がします。
私を含め、周りの同世代が続々と会社を辞めているのでそう感じました。

「新入社員は3年我慢」という言葉だけが一人歩きしている社会で、最近の若者は我慢が足りん!と一喝されがちな気がします。
あの言葉は、桃栗三年柿八年と言うことわざから来ているのでしょうか?
しかしこちら側ととしては、2年経っても木の芽すら出ていないのに、3年待ったら実ができるから待て!と言われている気持ちになります。
あと1年、見込みもないのに我慢するのは時間が勿体ないでしょうが!とツッコミを入れたくなりますね。

そして仮に3年待って実がならなかった場合、
その言葉を理由に、自分の時間を使ってしまったという事実だけ残り、虚しさが生まれるのではないかなと思います。
それを想像しただけで、
心の中のラッパーが、桃栗三年は残念もう観念yeah
と叫んでいます。

だから、そんな時は
さっさと土が豊かな別の畑に行くか、自分で土から畑を作ってしまった方が方がいいのではないかと個人的には思ってしまいます。

ただ、木になるワケないと思いながら、自分の意思で毎日水を与え続けたり、肥料を変えてみたり、モーツァルトを聴かせてみたり、、、
そういうことが気持ち的に続けていける環境なら、たとえ実がならなくても、その時間の価値はあるのだと思います。

結局は、誰かが放った無責任な言葉の意味に囚われず、自分の重要だと思うことを貫く気持ちが大切なのかなと思います。

つまり
桃栗三年柿八年
※こちらはの個人の見解であり
 効果をお約束できるものではございません。

ここまで含めて1つのことわざにするべきですね。




ストレスだらけの社会生活を乗り越えられる「なにか」はありますか?ということですが

いつも通り、何も考えない時間を作ると言う答えになってしまうと思います。

ただ、私は何も考えないとよく言っていますが、
多分これは誰からの心の干渉も受けないという意味もあると思います。
自分を鎖国して、何も輸入せず、強制的に他からの情報を一切遮断します。
それでいい意味でも、悪い意味でも色んなことを乗り越えられた気がします。

ただ、鎖国ばかりしていたら
ペリー来航されてしまった時どうもできないので、100%乗り越える術ではないです。
わたしもストレスとどう向き合うかについて考えながら日々過ごします。


これを書きながら
やっぱりこうやって
色々向き合っている今を記録できることって幸せだな〜と思いました。
結局、今持っている幸せに目を向けられるかが大切なんだなぁと思います。
そして目を向けられる環境が何処かにあるのだと思います。
1人1人がそれを探し当て心に余裕を持つことで、衣食住だけではなく、遊休知美を愉しむことに目を向けられる社会になればいいなと思います。
私はフリーランスとしてこれから頑張っていきますが、私含め周りの人がそんな感覚で生きていけるような何かを作っていけたらなと言うのが今の目標です。

まだまだすごくざっくりしていますが、
これが形にできるように試行錯誤していくのが楽しみです。


長々となってしまったので今日はここらへんで終わりにします。
あかちゃんは、そろそろ好きなラーメンの具材を
5文字以内で教えてくださいね。


あおちゃんより

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