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昨日は「マチネの終わりに」作品展のオープニングレセプションイベントでした。平野啓一郎さんと石井正信さんの対談の後、展覧会出品者のトーク、夜には平野さんと福田進一さんの対談+演奏まで、盛りだくさんな一日となりました。出品者のトークでは、僕も少しだけお話をさせていただきました。

作品を作るにあたってどんなことを考えていたのか、少しだけ書いておこうと思います。作品は必ずしも理解が必要なものではないと思いますが、今現在生きている作家だから、言葉を伝えながら鑑賞してもらうことができるとも思っています。

「image in the image」というタイトルで出品している今回の作品は、蒔野と洋子のポートレイト(人物像)です。会場では左/蒔野、右/洋子。小説(テキスト)を読みながら頭の中にぼんやりと浮かんでくる人物や情景は、読む人の数だけ"像"をもっています。読んでいる人が培って来た経験に沿って作られるその像は、人と共有することは不可能で、共有できたと感じてもそれは錯覚です。小説などを原作とした作品が実写化されたとき、誰しも登場人物に対して「何か違う」と思った経験があるかと思います。もともと視覚を介した像をもたない人物に対して「違う」と感じるその不思議な感覚は、それぞれが頭の中でみている"像"に差異があるから感じるものです。

視覚を介さずに頭の中に浮かんでいる状態のその像を、無理矢理アウトプットしてビジュアル化してみようという試みとして、僕が「マチネの終わりに」を読んで、蒔野と洋子それぞれを構成すると思う要素をぎゅっと圧縮したのが「image in the image」です。

ネット上からかき集めた画像を写真として出力し、アウトフォーカスで撮影、写真として出力し、くしゃっとひとまとめにして再度撮影、再度写真として出力し、背景の上に立たせて撮影、という風に撮影と出力を繰り返して制作しています。要素は、クラシックギター、ケータイ、ペリエ、メール、無伴奏チェロ組曲、スカイプ、コンサートホール、しじみ、取材ノート、庭の石、プラチナリング、花柄、アラブ系の若い男性、バグダッド、ヴェニスに死すなどがあります。"イメージ"をレイヤーとして重ねていくことで、よりたくさんの要素を圧縮しようとしています。

眼を信じすぎる認識の仕組みは、フォーカスがずれたり、くしゃっとなってアウトラインが崩れたり、天地が逆さまになっただけで視認することをすんなりと諦めてしまいます。はっきりとした像を視覚を介して見ることが"見ること"なのでしょうか。「マチネの終わりに」を読みながら、頭の中ではぼんやりとした、アウトラインをもたない、蒔野や洋子の像をきっと"見て"いると思います。

「マチネの終わりに」作品展は、渋谷ヒカリエの8階にて、連日11:00-20:00、会期は4月18日(月)までです。ぜひお立ち寄りください。

http://www.hikarie8.com/cube/2016/03/10.shtml


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