関東大震災100年に関するあれこれ:創作のための時事勉強会27

※注意
 本記事は時事的問題について、後で振り返るためにメディアの取材や周囲の反応を備忘録的にまとめたものです。その性質上、まとめた記事に誤情報や不鮮明な記述が散見される場合があります。閲覧の際にはその点をご留意ください。


事例

9月1日の出来事

歴史修正主義

※松野官房長官は8月31日に発した関東大震災に際する朝鮮人虐殺の件について「政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」という見解を表明、続く9月1日においてもその認識をあらためなかった。

※朝鮮人虐殺の記録は公的にも私的にも残っており、松野の認識は明らかに間違い。また仮に公的な記録が残ってないとしても、行政が残すべき公文書を破棄したというだけのことになるので意味のない指摘である。

※小池百合子東京都知事は就任した2017年から関東大震災に際する朝鮮人虐殺の追悼式典に追悼文を出していない。追悼文は石原慎太郎ですら出していた、と言えばことの重大さと異様さが分かるだろう。

※小池百合子は「慰霊大法要で全ての方々に哀悼の意を示している」と主張するが、特定の属性の人間が差別されている中で表明される「すべて」が誤魔化しの言葉であることは論を待たない。

※また2022年には東京都内の人権プラザで開催した美術作家飯山由貴の企画展で、朝鮮人虐殺に触れた映像作品が都人権部から難色を示され上映を中止されたという事例がある。「人権部」なる部署が都知事に忖度し直球の人権問題に関連する映像の上映を禁じたという恐ろしい事件。

※小池百合子に関しては2017年からだったが、関東大震災100年という節目で首都とはいえ地方行政のトップだけでなく、国中枢の官房長官すら歴史修正主義に走っているというのはどことなく意図的なものを感じる。

※なにせ赤十字ですら歴史修正に利用できるようなプロジェクトを立ち上げたので。現在は中止になったようだが。


映画もやるが……

※「福田村事件」とは震災後に福田村を訪れた行商を自警団が殺害した事件。朝鮮人虐殺に密接に関連するが、厳密には「朝鮮人と間違えて日本人を殺害した」事件。

※上述の人権プラザの件を加味すると、今の日本では「朝鮮人と間違えて日本人を殺害した事件」の映画はできても、「朝鮮人虐殺事件」そのもの映画は難しいのかもしれない。

※節目の年にこの映画が封切られる価値は間違いなくあるが、同時にこの事件に関する認識が「朝鮮人と間違われて日本人が殺害されたのが悲劇」という方向に流れ朝鮮人虐殺そのものへの認識が弱まる危険はあるかもしれない。

近づく現代

※痴漢や盗撮を捕まえる配信者に続き、転売ヤーを捕まえる配信者が登場するが彼の者は女性支援団体に嫌がらせをしていた迷惑系のひとり。この分だと映像内で暴行を受けている人物が転売ヤーかどうかもだいぶ怪しい。

※痴漢や盗撮に対し警察の動向が低調であり、個人がある程度対応せざるを得ない側面があるのは事実。だがこうした配信者の目的は目立つことであり、盗撮犯の私人逮捕はその手段に過ぎない。裏返せば相手が盗撮犯や転売ヤーである必要もなく、その保証はどこにもない。

※差別意識が根底にあるとはいえ、同時に強烈な混乱と不安意識から端を発する自警団が虐殺をしたのに、ただ目立つために私刑を加える私人逮捕系配信者がエスカレートすればジェノサイドに到達するのは目に見えている。

個人見解

 関東大震災100年という節目に国家中枢に位置する政治家が、明確な歴史修正に走っている点は重く受け止めるべきだろう。同時にここ最近注目されている私人逮捕系配信者の存在は、震災時に起きた自警団によるジェノサイドを想起させるものである。

 原発における汚染水放出に対し中国が日本の水産物の輸入禁止措置に踏み切った。これに対し中国を敵視する声が大多数だったことの危険性も指摘しなければならない。中国からすれば日本の水産物にこだわる意味は薄く、輸入禁止にされれば困るのは中国への輸出割合が多い日本の方なのだが、なぜか日本側が強気に文句を垂れる始末である。

 外部に対し敵対意識と憎悪を向けることで国内の不手際をうやむやにしようという動きが目立つ。今に始まった話ではないが、ともあれ今回の歴史修正主義的な動向と合わせて、ある種の危険水準に日本が達している可能性は大いにある。いつジェノサイドが起きても驚くべきではない状態だと、少なくとも個人では判断している。

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