叙述トリックの脆弱性:創作のための戦訓講義43
事例概要
発端
反応
個人見解
叙述トリックはそれを知ると創作をやっている人間が一度はやりたくなるものとして、個人的には「二人称小説」と同じくらいの位置にあると思っている。なんでそう思うかと言えば、まあ、ね。
さて叙述トリックだが、既に今のミステリではかなり当たり前のものになっている。少しでも胡乱な言い方をしたところがあれば少し慣れた読者ならそうと気づかれるほどだ。ゆえに叙述トリックを単体でオチとして使用するのではなく、もうひとつ何かを入れるべきだというのは妥当な意見だ。
その上でそもそも、叙述トリックの必然性というものもある。読者を驚かせる以上の何かが叙述トリックには求められている。そういう意味では上記ポストの「物語の位相が変わったか?」という指摘もドンピシャだ。
そもそも我々はミステリ、すなわち推理小説を読んでいるのだ。単に論理ゲームや探偵ごっこがしたいならそれに適した媒体を所望する。推理小説は「推理」「小説」の二要素を満たさなければならないと考えられるだろう。ゆえに叙述トリックはただ読者を騙すのではなく、小説すなわち物語に大きく影響しなければならない。
で、まあ自分語りになるのだが、私は有名な叙述トリック使いの作家からミステリに入った(正確には舞い戻っただが)口なので、それはもう当初は叙述トリックを使いまくろうとした。その試みはほぼうまく行かなかったわけだが、それからしばらくのときが経った現在、私が書いた叙述トリックのある作品は相応に上手く行っていると自負している。少なくとも当時の叙述トリックを使いたいだけのガキだったころの作品よりは。
肩ひじ張らず、叙述トリックにこだわらず使いどころを見極められたという意味では、創作を志す人間として少しは成長したのかなあと思わないでもない。成長してるといいなあ。
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