辺野古ゲート前の光景への揶揄と、それを敵視する馬鹿の群れ:創作のための時事勉強会70
※注意
本記事は時事的問題について、後で振り返るためにメディアの取材や周囲の反応を備忘録的にまとめたものです。その性質上、まとめた記事に誤情報や不鮮明な記述が散見される場合があります。閲覧の際にはその点をご留意ください。
事例概要
発端
※沖縄、辺野古の様子。この発言自体は揶揄的だが、米軍基地問題の一連の流れを鑑みればそういう発想はある(抗議者を「土人」呼ばわりした例もあるし)。
馬鹿の群れ
※「指差し呼称」を指摘する馬鹿の群れ。元の発言者は当然これが指差し呼称だと理解した上で揶揄をしているに過ぎない。
※ついに興奮のあまり発言者の言っていないことまで見えるように。
※「指差し呼称を知らない」→「社会に出たことがない」と決めつけるポストも多数。じゃあ140字のレトリックもまともに読めないみなさんは小学校出てないんですかね。
個人見解
このポストにつくあまりにバカバカしい反応の数々が、沖縄の現状をよく現していると言える。基地問題についてわずかにでも否定的に触れればこの手の反応が山のようにやってくるのだ。
念の為確認するが、元の発言者は警備員の確認動作を知らないので儀式のようだと形容したのではない。そんなカーゴカルト的な話ではなく、基地問題の現状を鑑みて、平然と日常業務を行っている姿が「まるで人間性を失うための儀式のように見えた」と表現しているのだ。
その表現や揶揄が現実の問題と照らして的確かどうかという話ならともかく、指差し呼称の話というまるでズレた話をこれだけ大勢がグダグダとやるのは異様である。気をつけなければならないのは、こうしたズレた話を繰り返す馬鹿は話題を逸らすためにわざとやっているわけではない、ということだ。心の底からレトリックが理解できず、発言者の能力を不当に限りなく低く見積もって「指差し呼称も知らないのか」と馬鹿にしているのだ。まるで会話の中で単語の組み合わせで「うんこ」が出てきたのではしゃぐ小学生みたいなものだが、実際知能的には小学生の方がまだマシだ。
創作をやっているとこの辺の悪意の落とし込みが常に鬼門となるなとあらためて感じた。現実に存在する悪意にも関わらず、バカバカしすぎて落とし込めない。こんな低次元のやつは敵としあまりにも魅力にかけるし、フィクションに直した時点で現実味がなくなる。現実の出来事なのに。
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