刑法第39条という藁人形:創作のための戦訓講義67


事例概要

発端

※刑法第三十九条を利用した偽りの「社会批判」への問題提起。

刑法第三十九条

※刑法第三十九条は心神喪失および心神耗弱の規定。三十九条は「心神喪失者の行為は、罰しない」とあり、続く二項で「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」とある。

※刑事事件を扱う作品でよくある「頭がおかしいから無罪」的な話の根拠だが……。

反応

※この手の藁人形的な「社会批判」はけっこう多いという気付き。

事実関係

心神喪失者と措置入院

※責任能力無しとなった被疑者はすぐに釈放されるわけではない。責任能力のない状態は被疑者自身にとっても危険な「治療が必要な状態」と言えるだろう。

※「入院を強制されること」「その判断が精神医療の専門家ではなく裁判官によること」「無罪になること自体が贖罪の権利を侵害する」など、実は批判は多岐にわたる。

※そもそも入院期間は18ヶ月程度を基準として入るが、「心神喪失者等医療観察法」で上限が定められているわけではないので永遠に閉じ込めることが可能という問題も。

ついでに少年法

※刑法第四十一条では「十四歳に満たない者の行為は、罰しない」とある。

※ただし少年法における定義は二十歳未満。これはあくまで少年法が保護すべきと規定した「少年」の定義であり、刑法による未成年者の規定とは矛盾しない。

※少年犯罪でも被害者を死亡させた16歳以上の被告に関しては逆送、つまり通常の事件と同様の処理をされるのが原則。15歳以下でも事件の状況に応じて同じく逆走される場合があるようだ。

※少年犯罪だから何でも減刑されるわけではなく、個々の事件に応じて変化する。

痴漢冤罪と生活保護不正受給

※痴漢は刑法ではなく各自治体の迷惑防止条例違反としてカウントされるため、そもそも実態が不鮮明。当然冤罪についても同様に不鮮明。

※冤罪は警察の捜査の問題である、という認識が共有されていない。創作物における「冤罪で陥れる女性」などはまさにそうした偏見の再生産だろう。

※生活保護の不正受給率は低く、むしろ捕捉率が低く保護を受けるべき人が受けられていないのが現状。

藁人形を扱う作品

『ルックバック』と『相棒』

※藤本タツキ作『ルックバック』において、おそらく京アニ事件からの発想であろう、精神疾患患者への偏見を増長するシーンが描かれた。

※後に表現は修正されたが、批判に対し作者当人はもちろん、編集側も十分には応答できていない。

※批判に関しては斎藤氏の記事が分かりやすい。「迫真と言いつつそこに実体はない」という一言がこの問題を正確に言い表している。

※ちなみに上記記事で触れられたのがドラマ『相棒』で登場した薬物中毒者の偏見を助長する人物像である。

江戸川乱歩も逃れられない

 ドラマ『明智小五郎』はあの明智がサイバー犯罪に挑む内容だが、サイバー犯罪の内容自体がダメダメだった。加えて第一夜では少年犯罪に対する偏見も見られた。サイバー犯罪より古くからあり、偏見も指摘されている少年犯罪に対する扱いが雑なら、そりゃサイバー犯罪も雑になるよねという話。

※ちなみに『乱歩奇譚』では「裁かれない犯罪者」への憎悪が「怪人二十面相」を生み出していたが、犯罪者の中には心神喪失者なども含まれていた。というかシナリオ的にはそれらが本命。

海を超えても

※スタローン演じるロス市警の刑事コブラが悪人を撃ち殺しまくる、実にらしい映画。犯人はカルト的組織ナイトスラッシャーだが、彼らの会話の中に心神喪失について言及するものがある。

※『ケーキの切れない非行少年たち』について上レビュー記事を参照のこと。上記ポストで語る問題は新書がドラマ化された際、新書では男女の区別をつけないよう注意を払われていたのに、あえて女子側のエピソードだけが抜き出された件について。

※レビュー記事では『流産させる会』と絡め問題から男性が距離を置くことを批判した。要するにこうした偏見によってメディアミックスが汚染されると作者の側ではどうにもできないという問題。

※メディアミックスの制作陣だけでなく、鑑賞者側が偏見を温存したまま作品を評価していたらやはり作者個人では太刀打ちできない。

個人見解

 刑事事件を扱う創作、特に広義のミステリでは本来もっと盛んに議論されるべき話だが、他の創作ジャンルにおける同質の問題と同様、さほど議論されることはない。作者個人の能力と知見によってこうした偏見を正す内容を描いても、それは一時のもので大量にある偏見を再生産する作品に打ち勝つのは難しい。

 仮に作者個人がどれだけ頑張っても、メディアミックスの際にその努力を無惨に蹂躙される危険はある。また鑑賞者側が偏見を温存し続ければ偏見に基づかない描写こそを「リアリティがない」として切って捨てられる危険もあるわけだ。こうした問題の解決には作者の側だけではなく、鑑賞者の側のアップデートが不可欠であろう。

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