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与えてるの?・与えられてるの?

認知症の方は
記憶の障害等で
気持ちの表現の仕方が
わかりづらかったりします。

私たちから見て
認知症の方の表現をわかりづらいと感じるのは
言語での表現ではなかったり
一般的な社会の規範や常識から
かけ離れている表現だからです。

逆にいうと、
私たちの方が
一般的な社会の規範や常識に囚われていて
「人」の感情を見ていない事もあるのかも知れません。

認知症の方の行動を
例えどんな行動であっても
「表現」
だと捉えると、

実は、
不快感から怒っていたり
仲間外れと感じて出て行こうとしたり

ストレートな表現だと感じます。

そんな認知症の方のストレートな表現に触れていると
「人間」あるある
というか
「人」ってこうだよなぁ
と考えさせられる事が沢山あります。
そんな中から
今回は、人と人との「関係性」について書いてみようと思います。

わからない利用者Aさん

ご利用者Aさんは、
その時、何をして良いのかがわかりません。
だから、よく
「何をしたら良いかわからないの」
と他の人に聞きます。

そうすると、
他のご利用者さんが、
「こうしたら良いよの」
とアドバイスしたり、

「一緒にやりましょう」
と手助けをします。

Aさんはいつも困っているので、
みんながAさんを気に掛けます。

Aさんを助けたいみなさん

Aさんは大体いつも困っていて、
人に尋ねたり
人のアドバイスを丁寧に聴くので、
みんなAさんを助けたくて
Aさんの取り合いになったりすることもあります。

ある方はAさんがいないと
居場所がないと感じ
部屋に閉じこもってしまいます。

またある方はAさんがいないと
何をして良いか分からずに
ウロウロ歩きまわったりします。

その姿は、
困っているAさんを求めているようにも見えます。

人は「与えたい」存在

人はみんな
人を助けたいし
人の役に立ちたいし
人にアドバイスしたい

のかも知れません。

Aさんがいるから、
みなさんが満たされている。

Aさんのように
「与えられてくれる」人がいないと
困ってしまうのですね。

与えているようだが、与えられている

みなさんのこの様な姿を見ると、

人というものは与えていると思っていても
与えられているもんなんだなぁ

と感じます。

行為という事だけを見ると
手助けをして与えているようでも
世話をするという役割を与えてもらっていたり

教えているようでも
聞いてもらっていたり
教える事で自己肯定感を受け取っています。

わたしたち介護者側も支援をする事で
与えているようで
実は
充実観
自己肯定感
感謝
を頂いているんですね。

まとめ 関係性を壊さない

だから、わたしたち支援者は
利用者さんに対して
自分が与えてやっている
なんて思ってはいけないですし、

利用者さん同士の
与えたり与えられたりする関係性を
大切にしなくてはいけません。

私たちが、利用者さんの世話をし過ぎて、
利用者さん同士の
「与えたい」「与えられたい」
を奪ってしまい

充実観
自己肯定感
感謝

を職員ばかりが受け取っていては駄目なのです。

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