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単細胞と多細胞な恋愛/凛として時雨『Chocolate Passion』

みなさん。

恋愛には刺激を求めますか?

安心を求めますか?


…はあ?

まずは自分の本音が話せるかどうか。

が真っ先にこんか?

刺激とか安心とか、人の感情ってそんなところで最終落ち着くわけがない。

生ぬるいし、単純な思考回路やなって思う。


で、単純な思考回路ってのはそれが繰り返されると『単純』なので、行き着く先はビョーキになる。

慢性的な習慣病ってそうでしょ?

ポテチやめられ〜んとか、タバコやめれ〜んとか。

いつしか固定概念とか執着とかに変わっていく。

それしか頭にないんだもの。

他のことなんか見逃しまくっててどーでも良くなってる。


つまり、

本能の司令に単細胞的に忠実に行う。

それはいとも簡単に細胞分裂を起こし、同じ欲を持った自分が無数に誕生していくだけなので、その人自身が単なる欲望の集合体になる。

これがすなわちエゴ。

ただ、集合体だけで形成されてしまったものは、それを大きな一つのものにまとめられるかというとそれはできない話で。

そのうちエゴは暴走する。


質は同じだけどあくまで個体の集合なので。


多数誕生してしまった個体を減らすには一体一体殺していくしかない。

殺す作業。

それはとってもエネルギーがいるから大概の人は改善のやる気も出ないし、そもそもそれがビョーキなことにも気づかない。


だって、同じ自分がいっぱいいるから、自分に注意してくる自分もいないわけ。


いわば、難病に限りなく近いビョーキ。

でも難病ではないってことは言いたい。


このビョーキってのは突然変異ではなく、必ずや単純分裂を起こそうとした発起点があるはずで。


そこを辿っていくことができれば投薬は可能なんだよね。

たいがいは幼少期の過ごし方や人間関係に辿り着くことが多く。

その人の本質だけでは決して行き着かない。


愛や豊かさを受けすぎてたか、枯渇してたか。


ようはなんでも環境が偏りすぎる事によって内部に問題が生じてくる。


愛や豊かさを受けすぎてきた人はいつのまにかそれに洗脳されているような状態になる。

いわゆる集合的無意識。

私は総じてファンタジーコンプレックスって呼んでるけど。


夢なんだよ夢。


それは本当の相手を思いやる愛や豊かさではなく、コントロールが入ってるから実に非現実的。

ファンタジー。


するとね、それから離れて社会に出た時に他人を巻き組むことになる。愛が自分に与えられることが当然だと思ってるから。

愛をよこせ!豊かにさせろ!という支配的欲求を奥底で抱えて、表面的には見事にコントロールしながら人に対して積極的にも計算的消極にもなれたりする。


枯渇してる人は、他人のささやかな愛をできるだけたくさん受け取ろうと必死になり、自分の許容を偽ってそれ以上の許容があるようにあたかも演じる。


どちらも崩壊するのは目に見えてるのにね。


私もかつて若い頃、このビョーキになりかけたことがあった。


『なりかけた』って書き方をするのは、20代の後半の時、今から16年程前に途中で投薬してくれた人がありがたくも登場してくれたから。


ただし、時間はすごくかかった。

私は質が悪く、歪んだ愛の形の両方を授かった幼少期だったので。


本当は自然治癒が良いのだろうけど、どうしても投薬(他人の力)が必要なときもある。

投薬してもらったと言ったけど、厳密に言うと、わたしのそれは『完治』したのではなく、違う手法を身に着けるという気付きを得たことで回避できるようになった…というもの。

単細胞だったものを多細胞にしてみた。

それはかなりの人格転換。


愛されたい自分を中に増やすのではなく、分裂するたびに純粋な自分の意識をあえて違う人格にすり替えていった。

そして違う人格が増えて多重人格に気づくごとに偽物の意識を失くしていくようにしたのだ。

そしてまたその生き残った細胞で分裂を起こしてしまったら、またもう一人の自分の人格を失くす…という作業をしていった。

ゆえに、元の私というものはバランスを崩し、自滅していき、どこにも存在しなくなり、人の目から見えなくなり、果ては意識からも消えていく。

そんな破滅願望を持って生きることを選んだのだ。

これは相当な粗治療だった。


単細胞の場合は終わりが果てしないので、増えすぎて自分の枠をはみ出したらそれは必ず周りに被害が生じてくる。そしてもちろん、自分の皮膚(枠)を突き破ったので自分にも被害が起こる。

傷跡は縫合してもなかなか消えないもので。

ましてや縫合する前に毒が出き切っていなければ、後で化膿してきて見るも無残な結末になる。


でも多細胞分裂は自分を失くせばいいだけ。

自分の人格が死ねばいいだけの話。

そして自分の肉体もいつか消えていくのだ。


ちょっと刹那的に聞こえるかもしれないけど、そんな人格の無いただのダッチワイフを抱いて興奮している生物はみんなツバ(唾)だと思っていた。


人の唾が自分につくとだいたいは不快になるよね。んで、再びかけられないようにちょっと距離置くよねー。

今で言うソーシャルディスタンスってやつか。


なので、

人格のないダッチワイフを抱いてるこの人はきっと、

遠くない未来、誰からも相手されない人になるんだろーなー


的な目線で過ごす。

可哀想な視点。

可哀想だから俺が、私が、そばにいてやるよ。

これが同情。

私がクッソ嫌いな行為が同情。


愛人になることもセフレになることも散々やってきて、可哀想な立場にしかなれなかった私は、結果的にたくさんの人格を失くしてきたし、同情もされてきた。自分が育てた細胞が招いた結果。


ただ私の場合、本当に好きな人に真剣に向き合うと、途端に単細胞化する。

単細胞はジェネラリストでもある。純粋な自我。


しかし純粋さが極まった単細胞な時、

エゴが暴走している状態に豹変してしまう。

そうして私自身では把握できないほど、恐らく相手とたくさんの周りの人を泣かせ、傷つけてきたであろうその罪悪感を、多細胞になることで償おうとしてきたのだと思う。

40歳半ばになった今、さすがにもうこれ以上多細胞化して失くす人格は無いなと思っている。

いや、思っていた。

ドールな自分はもうやだなーと。

けど、わかんないけどね(笑)人生なんてもんは。

今またなりかけてるので、歯止めをかけるためにこうして記している。


だからそういうビョーキの人を作りたくない。

ビョーキの人はいないと信じたい。

これは希望。


何がちょうどいいかなんてのは、理性と感情に常に左右されてる人間が正解を出せるわけもなく。

だからこそ、本音を話すということを怠ってはならないのだとも感じる。

そうやって関わって、人の真意というものを、ドロドロとした内部をマザマザと知っていく作業を、自分の身を持って実証していくしかないのだ。

人間関係、恋愛関係なんてものは。

この世の中、単細胞よりはるかに多細胞でできてるものが多いしね。みんな刹那的だ。バランスをとるのは非常に難しい。


まあ、占い師的サガなのか、個人的直感からのドM気質なのか、いや待て、ドSなんでは?(笑)

うん、ビョーキの人を見ると投薬したくはなるのね。


時間をかけて。


みんなには無理をしてまで私のように人格を置き去りにしてもらいたくないから。

できれば、ね。

誰しもそう、

なんだって、急に明日から変われ!なんて無理な話だから、鑑定上でも私は決してそうは言わない。


長年掛けて積み上げてきたものは崩すのだって時間を掛けないと、むしろ危険で。

逆に変われる人、サイコパス的気質充分です(笑)


だから私は、恋愛問題に関わらず『変わりたい、変えてみたい』という意思を少しでも持っている人には全身全霊をかけて寄り添う。

ここは傍観していたくはない。

変わりたい人は自分の意思だけじゃなく、投薬も絶対必要なんだ。

意志を強くさせていけるのは投薬(他人や環境の力)しかない。

その人のことを本当に応援したい、支えたい、寄り添いたい、と思えるのならば、薬も様々な成分や効能を明らかに示すことが求められる。

こちら側の想いをちゃんと相手に伝わるように可視化するということだ。


ビョーキを治すというのは双方にかなり努力が必要で、信頼という忍耐も必要だ。


それはきっと、関わりのない赤の他人にはゆっくり過ぎる時間に映っても、当の本人にはかなりの粗治療に匹敵するのも私は身を持って分かっている。


だからこそ、克服部分を崩していってる途中で足下がおぼつかなくなっても、

ちゃんとキャッチしてあげるから、手を掴んであげるから大丈夫!って。


その人が求めれば、その人の目を見て常に言ってあげるよ。


安心して、って。


私が投薬されて気づいたように。


うん、、、
これ、長くなりすぎてまとまってるか??
まとまってないんじゃね?(笑)
だな。
さすが俺、単細胞だわ


(あ、凛として時雨のこの曲ね。私の多細胞恋愛そのものだなーと思って。でもすっげーかっこいいのよこの曲、みんな聴いて)

https://youtu.be/x9pd27PouMo

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