~18歳シリアに行く~文明の十字路⑥
諸注意 ※この文章はシリア・アラブ共和国への渡航を推奨するものではありません。情報を収集した上ご自身の責任で渡航される事をおすすめします。
※現在、今後シリア・アラブ共和国への入国を行った後は、「ビザ免除プログラム改定およびテロリスト渡航防止法」により米国へのESTAを利用した入国が不可となります。またこの旅行記中にある情報は断りのない限り2020年2月以前のものであり、現在の状況は大きく異なると予想されます。
※文章には筆者個人の偏見、勝手な予測、それらに伴う間違った情報、個人的な主義及び思想が出ることが予想されます。間違った情報に対する指摘や質問等がありましたらTwitter→@aka_ikura までお願いします。なお、主義思想に対する批判や未成年者の行動としての妥当性に関するコメントはお控えくださると幸いです。
※今回の記事は前回⑤からの続きになっています。初回の記事はこちらから、前回の記事はこちらから読めますので未読の方はそちらから読むことをお勧めします。
はじめに
今回は早め(個人比)に投稿できた。これはまさに、様々な方々による前回noteに対する反応があってこそだと感じる。
(数多くの催促もあるけど)
ともあれ今回は2日目ということでダマスカスから離れ、クラク・デ・シュバリエについて主に触れることになるだろう。
↑シリアでおすすめのお菓子、5円(当時レート)で食べられるスニッカーズ
今回の記事も少しでも楽しんで(渡航の参考にもして)いただければと思う。
ダマスカスの朝
前日のこともあり案の定悪夢(歩いていたら私服警官に拘束され、スパイ容疑で独房に入れられる)を見つつ起床した。
昨日の夕食がケバブ一本だったこともあり、朝ごはんには期待していたが、大変満足のいくものだった。
そこまで宿泊客もいないだろうに(情勢というよりはホテルの構造上)、そこそこ豊富な品数はもちろん、それぞれがシリア料理で美味しかった。
↑右端でシェフが寝ているのはご愛嬌
みずみずしい野菜やオリーブの効いた料理に、ギリシャやアラブの顔が見え隠れする「それ」はまさに文明の十字路としてのシリアを表しているだろう。
一つ言うとするならその前に食べた、レバノン料理と何が違うのかわからない事だろうか・・・
↑デザートには中東菓子(甘さ控えめ)もあった
満腹でやや眠くもありながらも、集合時間となり、内装を眺めつつ出発した。
↑片側にしか椅子ないけど大丈夫そ?
出ダマスカス
ガイド氏に加え、ドライバー氏と合流し、市外を目指し出発した。
それにしてもドライバー氏のドライビングテクニックは、かなりのものだった。
旧市街特有の、よっぱらった蜘蛛作成の巣みたいなごちゃ狭ロードをそこそこの速度で駆け抜けていく。
↑免許すら持ってなかった当時どころか今現在でもスゲーとなってしまう
お~と関心しているうちに北西部に出てきた。
ここで久しく忘れていたこの国の現状を見ることになる。
バス停のようなものを抜けると、突然右側にとても人が住んでいるとは思えない廃墟が連なるのが見えた。
↑窓邪魔かつ逆光だが、完全に廃墟である
同時に戦争という得体のしれないものが急接近してきたのを感じた。
ガイド氏曰く、あの地区では終盤まで愚かな反政府側勢力を「保護」してしまっために、激しい戦闘が行われ、地区ごと破壊されたのちも再建が間に合っていない。
住民は今も仮設住宅で暮らしている、とのことであった。
↑さっきより建物の原型は残ってるけど、人は住んでなさそう
これは素人の勝手な想像であるが、廃墟がそのままであるのは政権からの見せしめの意図が少なからずあるのではないかと考えてしまう。
もちろん中心部の復興を優先して行いたい、戦争に資金を集中させており余裕がない等の理由はあるだろうが。
↑放棄されたゴーストタウン
↑現在(2021年10月)のグーグルマップでも灰塵と化した町を見ることができる
↑ここにゆかりのある人だろうか、最高指導者への憎悪が見て取れるものを発見した
そんなわけで周りを観察していたら、ふと左手の山のふもとの集合住宅が目に入った。
なぜそこに集住するほどの理由があるのかわからず質問をする前に、説明してくれた。
なんでも戦闘に関連して家を失った一般人に対して、政府が用意した住宅らしい。
どおりでブレジネフカのような、ソ連共産アパート感があるわけだ。理由からも、本家の性能からしても、快適とは程遠い住環境なのであろう。(応急措置だからしょうがないね)
これら「戦争」を物理的、心理的に整理しているうちに市街地から出ていた。
↑基本的にこんな感じの荒野がしばらく続く
それにしても検問が多い。③ではレバノン国境からダマスカスまでの検問の多さを書いたが、密度はそれほどでないとしても多い。
ホムス郊外までの150キロ余りの道のりで4回も検問があるとは思っていなかった。
面白いのは検問でもトランクの中まで見るものから、書類確認のみのものまで、結構場所によって差があることだ。どちらにせよ明らかな外人載せて、政府の観光許可証と、博士号持ち(自称)がそろっているので緩くなるのは違いないけど。
↑検問所跡っぽいもの、基本的にこんな感じのほったて小屋
一方武器は見るかぎり、ボロボロのAK-47っぽい2線級のものであった。
いや内戦してる貧乏国家がレバノンみたいに警察(治安部隊)にG36とかいう、つよつよ自動小銃持たせてたら逆に驚くけど。
(レバノンの武装組織は、シリア内戦以上にしっちゃかめっちゃかすぎて把握できない)
↑軽工業が盛んだというシリアらしく工場はそこそこ見かける
↑たしか私立大学ということだった気、全寮制の私立はそこそこあるらしい(こういう所西側っぽい)
↑荒野が広がり、アジアを感じる
ホムスと内戦
ホムスは首都ダマスカスと第2の都市アレッポの中間にあり、港湾都市タルトゥースとも結ぶ交通の要衝に位置する工業都市だ。
↑製油所?(確か内戦でホムス近郊の製油所空爆されてた)
↑発電所、普通に火力っぽい
ホムスに近づくにつれて木が多くなってくる。
ガイド氏が何か変に思うことはないかと尋ねてきた。
最初はそんな変なことはないと思っていたが、じきに不思議な光景を目にすることになる。
なんと木が傾いているのである。
異様な傾きようであるが、説明によるとホムス付近は季節風が激しく、その風によって木が傾いて成長してしまうらしい。
2月は全く風が吹いておらずとても不思議だった。
↑場所によっては直立しているから不思議なものである(左直立ぎみ)(シリア軍の看板)
ここまで風が強いので郊外には風力発電機が点在していた。シリアなのに案外環境に優しい発電方法をとっているものだ(失礼)
↑唐突に出てくる風車好き
いよいよホムスが間近になり、クラクデシュバリエ行くにしてもホムス市内をチラ見出来たらいいなと思ったが、車は市内を避けるように西に向かった。
↑クラクデシュバリエはホムスとタルトゥースの間にあり、中世から当地に城がある合理性が分かる
市内は混雑しているだろうし仕方ないかと思いつつ、聞いてみた。
「ホムスでおすすめの観光地ある?」
返答は「あんなところ何も面白くない。たくさん人が住んでいるだけの都市だ」というそっけないものだった。
しばらく意味が分からなかったが、そのうち自己の不勉強を恥じた。
ホムスはシリア内戦の武装対立路線の発端となった都市であり、政府軍による砲撃の開始から6年にわたるホムス包囲戦の舞台であり、反体制派にとってはアレッポと並ぶ重要都市、「革命の首都」とさえうたわれた都市なのだ。
3年前まで反政府組織が跋扈していたこの都市に対する、シリアキリスト教徒の心象は想像するまでもない。
それどころか、後に知ることになるが多数のキリスト教徒と同じく、ガイド氏は反政府組織により故郷を離れ、生まれ育った家は破壊されているのだ。
この境遇でホムスという都市を愛せないのは納得しかないだろう。
自分はこのガイド氏に何度も
「日本人は内戦に参加しなかった。どちらにも。120か国から戦闘員が来たのに日本からは来なかった。これは素晴らしいことだ」
と言われたが、これは背景を含めて一生忘れることはないと誓える。(参加しようとして捕まってた人いたけど)
↑主要勢力だけでこれだけいるぐちゃぐちゃ内戦
思わぬところで内戦というものがもたらした(表面化させた)、宗教民族による分断を見てしまった。
クラク・デ・シュバリエとの対面
ホムス付近になってからというものの、今までの荒野とは打って変わった田園風景が広がる。
緑豊かな土地を見てるうちに車は幹線道路から外れ、山道を登っていった。
蛇行する道を時速80キロでスイスイ行くので楽しかったが、今思うと普通に危険だ。
坂を登り終え、街に入っていくと建築を放棄したような集合住宅が目立ち、ところどころに破壊の跡も見える。
街が死んでいるようであったが、奥には人が住んでそうな家もあり安心した。
すると家の間から異形の建物が見える。
間違いないクラク・デ・シュバリエだ!
(街から異形の建築物が見えるの、ギザもそうだけど興奮するよね)
また坂を登っていく。
無事ダマスカスから2時間半、到着すると駐車場に車を停めて、ガイド氏と共に降りる。
ドライバー氏は故郷のタルトゥース(次は来てな!って勧められた)に買い物とガソリン補充に行くらしく、集合時間を決めて一旦お別れになった。
クラク・デ・シュバリエ
クラクデシュバリエに関しては、この後の城内観光含め、流石に先客はいなかったが、事務所はちゃんと営業していた。
↑入場料、エジプト並みの外国人価格設定だが、それでも対ドルインフレに間に合っておらず、1ドルに満たない値段である(エジプトなら25$くらい取ってきそう)
スタッフの人が珍しいアジア人に気をよくしたのか、入口をバックに写真を撮ってくれた。
↑撮ってもらった手前言いにくいけど、下手過ぎない????? 指写りこんでるし・・・
このクラクデシュバリエは十字軍が建設した城の中でも保存状態が良く、完成度も高い城なのだけど、説明できるほどその辺詳しくないんで、wikipediaでもどうぞ。
特徴的なのは二重防壁を採用していて、攻城兵器による内側の防壁突破を困難にしているところ。
攻城兵器の発達しなかった日本とは設計思想が違いすぎて、~ユーラシア~って感じだ。
↑こんなのしかないけど外側の壁と内側がキレイに分離されているのがわかる。
まあ基本的なものは2011年以前のブログとか検索すればあると思うので、気になったところだけ書こうと思う。
↑この草の生え具合が好き
↑坂だけど段があるのは車輪妨害建築なのかな?
城内は石畳による緩い階段とアーチという大陸を感じる城。
本場ヨーロッパの中世の城ってよくここを木だったり土で簡略化してるから、資金惜しまず使えたんだなって。
※余談スタート※
で、これは勝手に感じたことなんだけど沖縄のグスクって大陸式だよね
↑こっちも崩壊国家並みの管理なの大丈夫なんすかね・・・
この丸みを帯びた石垣のフォルムはそうとして、坂+階段とか、石でアーチゲート作るあたり、本土じゃ見ない気がする(浦添城)
十字軍の城を擬似体験するなら、沖縄のグスクに行こう!(唐突)
※余談終わり※
↑矢口、ヨーロッパだとここにバリスタとか置くから、手前側が広くなるんすよね(日本だと逆だったりする)
↑井戸付き倉庫、奥の石は城から投げて妨害する万国共通の武器
興奮しながら一周したところで、まずは外壁を登ろうと上へ。
↑最高に眺めがいい
胸壁無くなってて、足滑らせたら落命待ったなしなのに柵とかなんもない放置具合、サイコ〜!
(普通に風強いし怖かった)
↑外側から内側見た図
城って行ってみると、これ無理だわってなること多いけど、ここはかなりレベル高い無理。サラディンが落とせないのも納得。
外側ひいこらいって攻略した時に見える光景がこれはちょっと・・・
次は内側だと1度降りる。
そうしたら何やら摘んでいる人を見つけた。
ガイド氏が声かけた所、地元の人が野草(ハーブ?)を収穫してるらしい
ゆる〜い! 好き〜!
絶対この人たち入場料払ってないでしょ、野草収穫するからって入れてくれるガバガバ具合よ。
↑こんな感じで内側と外側の間の草地で収穫してた
言葉よくわからんけど、ニコニコ応答してたら1つ貰えた。
↑ピント合ってない
せっかく貰ったのと、現地人がそのまま食べてたのでその場でいただいてみた。
うーん、順当に苦い。草の味。
草の味具合を過去食べたもので表すなら、
パセリ>タンポポの葉>これ>>>>>オオバコの葉
↑こんな感じ。いないと思うけど、苦さ気になる人はタンポポとオオバコ探して食べてください。そこら辺にあるよ。(オオバコって普通に味野菜だよね)
正体を今になって調べたけど、ディルの名前で有名なイノンドっぽい?
なんでもタルムードとか新約聖書にも登場してるらしいし、クラクデシュバリエに生えてるのも考えやすい。ディルすげえ。
そんな異文化交流も挟みつつ中へ。
↑工事の人はいなかった。内戦で金なくてお休み?
中は保全活動途中らしく、結構ボロボロで工具が転がってる。
↑修復された箇所
こういう十字軍!って建築みると、本当にここまでヨーロッパからどんぶらこしたんだなって実感できる。
かと思えば、イスラームの跡が見えるのもここの魅力
↑モスクに必ずあるやつ、前回のウマイヤドモスクにもあるよ
なんでも陥落後はモスクになったらしい。城の中ってなんて通いにくいモスクなんだ・・・
って思ったけど普通に城の中に人住んでいたとのこと。城としては諦めたんすね。
モスク無き今も放置されてて、モスクになる前のアヤ・ソフィアみがある。博物館として同じようなもんか。
というわけでアラビア成分いくつか。
↑落書き、読めない
城として機能失ったかに見えたが、内戦時に反政府軍が立て篭ったので、その「不届き者」が書いたやつかもとのこと。
↑柱に刻まれている、読めない
↑イスラーム名物幾何学模様!
あらかた回ったので、当然上に登りたくなった。
↑この奥から手前に階段を登っていく
この階段がボロボロすぎた。
↑安全とは、、、踏んだら崩れるだろ
ヒヤヒヤしながらも登る。
↑放置工事
↑中ほどからはこんな感じ
もうちょっと登る。
↑良い景色
更に登っててっぺんへ
↑この景色は地中海海岸部だわ
思ってたよりずっと良いスポットだった。
是非読んでいるみなさんも、健康なうちに行くべきな場所!
さてさっきちらっと触れたけど負の部分も。
↑写真暗いけど、実際このくらい暗い
一番わかりやすいのはこれ。
反政府軍が立て篭ったために、政府軍側による空爆や砲撃が行われ、一部破損したらしい。
いやいや、文化財保護は?と言いたい所だが、そんな余裕がなかったのは分かってる。分かってるけど悔しい。
まだドレスデンみたいにならなかったのが幸いなのかもしれない。
でもガイド氏の政権擁護も、ここに関しては厳しい感じがあった。
そんなこんなで大分端折ったけど城内観光は終わり。
チケット売り場ではがき買って、出場した。
最後に全景を観れる定番スポットに行くらしい。
山道を少し進んで、
おお〜〜!!!
これは見たことあるやつだ。
尾根の先端にある城だからこそ撮れる光景だけど、この城の立地の良さが一枚で理解できる。
【総評】
とにかく良かった!
終わりに
こんな感じで今回は終わり。
次回はマアルーラ村観光とシリア出国までを書く予定。
なんか総評を書く意欲湧かない限り、最終回になるはず!
流石に2020年初めの旅行記を2022年まで書きたくないので頑張ります・・・
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