毒親から逃れた仲間たちへ

苦しいなぁ。
私はいつもそんな思いを抱えて生きています。何をしていても営む生活の中に染み付いた、毒親の記憶。それはきっと消えないのだろうと思うと、そっと希死念慮が近づいてくる足音が聞こえそうになります。
助けてと叫んでも助けてもらえなかった記憶は、新しく何かに挑むたびに、静かに「どうせ失敗するよ。また怒られるよ。」と囁きます。
それでも27年生きて、諦めがついてきました。私たちいわゆる毒親サバイバーは、きっとこれらから逃れることはできないのでしょう。
人は古い記憶を積み重ねながら生きていくものですから、忘れることは仕組みとしてなかなか許されません。特に、それが「普通」のできごとに絡みついている場合、剥がして捨てるのはほぼ不可能です。

だから今、私は自分と仲間に生きていくための提案を2つします。
1つ目は、囚われてしまうことを許しましょう。
2つ目は、新しいことをしましょう。
ということです。

1つ目は、毒親に囚われてしまう自分がいることも認め、それはしょうがないことなのだと知り、それを否定しないということです。
今から変えることのできない記憶は文字通り、どうしようもありません。
親という存在自体からは社会的・物理的に早めに距離を取ることはできましたか?それができていれば、辛さが増えることはかなり少ないはずです。
それがいたことにとらわれるのはどうしようもないことだと認め、できるならそれに傷ついた自分を否定せずに、余裕がある時には向き合ってあげてください。それも今を生きる自分の一部であり、変えることはできないからこそ、否定だけはしないであげてください。
苦しい時は心療内科で相談し、必要に応じてカウンセリングを受けると、認める助けをしてもらえたり、心が軽くなったり、思い出すことが減ったりと、良い影響があるかもしれません。

2つ目は、新しいことに手を出して親と関係ない記憶の割合を増やし、思い出すきっかけ自体を減らしていってはどうかというものです。
親に否定されたことを思い出しながら生きていくのはとにかく辛いですよね。勉強も運動も生活も…新しいものにどんどん入れ替えていくことが結果として思い出す時間を減らすことに繋がります。
私はアメリカに留学している時期がありました。外国で暮らしているうちに、外国の言語やそこでの積み重ねの記憶で生きるようになります。思い出すきっかけがないだけで、こんなに楽になるんだ!という驚きがたくさんありました。環境の変化に伴うストレスよりも、親のことを考えなくていいという開放感のほうが勝って、外国に住むことへの適正はむしろ高かったように感じます。
外国で暮らすことは少々現実的でないにしても、知らない地方へ移住するとか、もっと言えば服やメイク、洗剤や家具、寝具や食器を変えるとかの1つでも、きっかけを減らすことができると感じます。心への負担を小さくしていくことが、よりよく暮らせることにつながっているなという私の実感でしか有りませんが、2つ目の提案でした。

せっかく毒親に殺されずに生き残ったのですから、どうかお互い幸せになりましょう。もしその中で良いライフハックなどがありましたら、どんどん発信していきましょう。私たちは1人として決して同じ経験をしてきたわけではありませんが、生まれや育ちに辛さを抱えている仲間として繋がることができます。せっかく生きているのですから、お互いにどうか少しでも幸せに近づけますように。

AK

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