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私は、海外に数えるほどしか行ったことのない28歳の男性ですが、会社を一度辞めて海外で暮らしてみようと思っています。

今回このnoteの中で

・この決断に至る過程
・私の過去から紐解くこの決断をしたきっかけ
・この決断の中でやりたいこと
・私自身がやっていきたいこと

について書こうと思います。

海外で暮らしたいと思ったきっかけ

人間関係に悩む

新卒で配属された部署で丸5年働いた後、2021年4月に辞令が出て、異なる部署で働くことになった。

新しい仕事はとてもやりがいのある職務であったが新しい上司との人間関係に悩み始めた。

その人と向き合ってみたり離れてみたりしたが耐えられなかった。
なぜこんな思いをしなければならないかと心に残るもやもやが体が拒絶反応を示した。

そのような状態ではあったが、部署異動を依頼しても心の底からやりたいことが思い浮かばなかった。

ただ、唯一出てきたものが「海外で一度暮らしてみたい」という思いだった。

しかし、当時の私には安直な考え方だと思っていた。そんな蜃気楼みたいなものに惑わされずに本当に選択したいものが私にあるはずだと。

そこで、選択したいものを探すために他人のやりたいことを聞くことを始めた。

聞くことで得たやりたいこと

他人のやりたいことを聞き続ける中で、思わぬ発見があった。

それは、人のこれまで培ってきた価値観やそれに基づいた今後の未来の話を聞くことがとても好きだということだ。

その中で、もっと人の価値観に触れたいと思うようになり、また価値観が近いと感じた人との関係を継続していきたいと思っていた。

そこで、私はインタビューとコーチングを学ぶことにした。

なぜなら、人の話を聞ける活動と考えたときに、一番最初に考え付いたものがインタビューであり、会話を行うだけで他人に価値提供を与えられるものがコーチングであると考えたからだ。

インタビューでは、とりあえずネットで「インタビュー 講座」と調べ、直近行われていたものを申し込んで受講した。
その講座の中で、ロールプレイングをすることになり、私の相手になった方にインタビューができる場所を知らないかと聞き、現在の活動場所にたどり着いてインタビュー活動を始めた。

コーチングでは、知り合いから紹介してもらった出会った感じの良い方が直近受講されていることを聞き、その方が受講されているものなら良いものに違いないとそこで活動を始めた。

活動から得た気づき

インタビューは、U-29というFacebookコミュニティでユニークな20代の人のこれまでを振り返りながら登壇者の価値観を探っていくという活動をしている。

そこで得たことは、ユニークな生き方をしている人でも話すと案外普通の人間だということだ。
心理的な距離の近さを感じられたことは、私もやりたいことができるのではないかと錯覚させることができた。

また、登壇者にはこれまでの人生の満足度を記載の上でインタビューを行っているが、現在の満足度が総じて高かった。

その理由は、自分で自分のことを決めているという意識が強いからではないかと思っている。
自ら決めたことは言い訳できないし、今は道半ばかもしれないがそれも含めてワクワクしながら進んでいる。

さらに、私がインタビューした方はたまたまかも知れないが海外経験のある方が多かった。
彼らは、海外経験を何らかの形で現在に持ち帰り今の活動につなげている。

この経験からワクワクしながら今決められる道を進みたいと思うようになった。

一方、コーチングは現役のコーチからコーチングを行う際のあり方を学び実践している。

そこで得たものは、人が掲げる目標は、十人十色でありそれは比べられるものではないこと。
そして、その目標へ進む道は、その方自身が一番知っているという意識だ。

また、コーチはとにかく挑戦することが好きだ。
コーチの話を聞き近くにいると私もなぜか挑戦したくなる。

、インタビューとコーチングをする中でこれらのことに気付いた。

  • インタビュー
    ・羨ましいなと思うユニークな人たちもみんな同じ人間であること
    ・自己決定していくことが人生の満足度につながっていくということ
    ・海外経験は20代の方々の転機となっていること

  • コーチング
    ・人が掲げる目標に優劣はないし、相対的な評価もないこと
    ・人の挑戦を見ていると挑戦したくなること

これらの気づきを踏まえて今考えられうる私がワクワクしてやりたいことは、やはり海外で暮らすということであった。

0から1のあいだは、1から99のあいだより大きいらしい。

そのような言葉をどこかで聞いたが、
その1歩目を踏み出すために、この決断をしてみようと思う。

ただ、こんな疑問も湧き上がってきた。
「どうして海外で暮らすことに自分はワクワクするんだろう?」

そこで、自分の過去と向き合ってみることにした。

海外で暮らすことがワクワクするわけ

どうして海外で暮らすことにワクワクするのか。

記憶しているワクワクした過去を書き出してみると、知らない街を探検することがワクワクする体験であったことに気付いた。

小学生のワクワク体験

小学生のときに感じたものは、当時所属していた少年野球チームの練習場所へ通う道だ。
練習場所は、家から自転車で15分程度で着く場所にあったが、川を渡って隣町にある。

橋を渡ると自分の住むマンション街から戸建て街に景色が一変する。そんな違いが不思議に思えた。

「こっちの道はどんな景色が広がっているんだろう、こっちの道には何があるんだろう。」

今でも、同じ道を通ることを避けて、行き帰りで新しい道を通ろうとする。そんな知らない場所への興味関心があった。

また、小学校の卒業文集では一番の思い出として鎌倉見学の出来事が書いてある。
自分たちでルートを計画して見学するものであったが、一番魅力的に感じたことは行ったことのない場所に自分たちだけで行くという冒険の楽しさであった。

街を冒険することが私にとってのワクワクであった。

中学生のワクワク体験

中学生になると、遊ぶ場所の範囲は広がり、自転車で1時間かかるようなボウリング場や、自分の街にはない大きな公園に行くようになった。
その頃、幼馴染の友達と自転車で遠出することになった。

ゴール地点は、実家である千葉の幕張から約30キロ離れたお台場。

周りには、そこまで自転車で行った友達はいなかったし、どれくらいかかるかもわからない。
当時は携帯も持っていなかったので、途中で自転車がパンクしたらと不安を感じていたが冒険心がくすぐられた。

朝6時に集合して、コンビニの道路地図を見たり人に聞いたりしながら6時間程かけて目的地に辿り着き、1、2時間休憩した後6時間ほどかけて帰った。

目的地自体にはあまり意味がなく、道中での出来事が楽しかったり、道中の街にも当たり前のように人々が生活していることを感じることが楽しかった。

そして、
「もし自分がここで生活していたら、どんな人生だったのだろうか。」
そんなことを想像することが好きだった。

その後も自転車旅は、目的地を変えつつ継続的に続けて、一人で行ったことのない近くの街へ探検し続けていた。

行ったことのない街をワクワクしながら探検するのが私だ。

知らない街を探検すること

過去を振り返ったとき、
知らない街を探検することは小さい頃からの挑戦であった。

海外で暮らしてみることにワクワクするのは、そんな探検の連続の先にある場所に違いない。

そして、私が暮らしたいと思う場所は、探検の道中に感じた「私がここで生活したら」という想像をしたときに一番掻き立てられる場所であるのだ。

そして、ワクワクすることである海外で暮らしてみて、私は何が得られたら嬉しいのか。

それについても考えてみることにした。

海外で暮らしてやりたいこと

好きなことから海外で暮らしてやりたいことを考えていきたい。
前回書いた通り、好きなことは人の話を聞くことだ。

これにも過去の行動に紐づけられるものがある。

学生時代の人への興味

学生時代、授業の教科でひとつだけ得意な科目があった。
それは、社会であり、日本史だ。

元々、小学生の頃から戦国時代の武将や偉人の伝記を読むのが好きだった。

人から紐作く歴史上の出来事を覚えることは不思議と苦ではなく、覚えるだけで点数がもらえる簡単な教科だと思っていた。

社会人になってからの人への興味

社会人になると人間関係の幅も広がり、異性との出会いの場から人の価値観に触れることが多くなり、いろんな人の話を聞くことが増えた。

相手から過去の恋愛話や、職場や日々の楽しかった話、悩みを聞くことは興味が湧いた。

人の話を聞くと、いろいろと質問したいことが浮かんでくる。
それは、相手の話に質問をすることで私のイメージを膨らませて、疑似体験をしているような居心地になるからだ。

私と異なる場所や環境で育った人は、私と異なる体験をしている。
それを疑似体験することは、目的がなくともできるほど私にとって面白い時間だ。

そのような体験をしたくて、今もインタビューやコーチングを通して人の話を聞いている。

人生のストーリーを聞くこと

海外に行きそこに住む人から話を聞くことができたら、私と環境や価値観が大きく異なる想像し得ない経験に触れられるだろう。

特に、人の価値観が形成された出来事やそれから生まれた考え方を聞くことは、自らと重ね合わせて考えることができる貴重な手段だ。

それを行うことで、私と違う価値観や考え方も出てくるだろう。

この数ヶ月でそのようなこともあり、その度に価値観が揺らぎ不安に苛まれた。

しかし、そこから誰かに相談し内省することで、自分の進むべき道を見直すことができ、人生の幅の広さを学んだ。

今回のこの決定にも、多くの方の経験が詰まっているのだ。

だからこそ、海外で暮らしてそこでしか出会えない人のストーリーを直接聞くという体験をしたい。

これが、海外で暮らしてやりたいことだ。

では、やりたいこと続けた先に私は何をしたいのか。
ここにも触れてみたいし伝えてみたいと思う。

私がこの先にやっていきたいこと

人のストーリーを聞き、私は何をやっていきたいのか。

これも私の過去から振り返って考えたい。

このnoteで何度か振り返った過去の中でも、忘れられない記憶である。
1番最初に鮮明に思い描ける記憶で、心の片隅に常にあった記憶だ。

自分の原体験

小学1年生の頃、幼馴染の友達(以下、A君)と公園で遊んでいた夕方、A君がこんなことを話しかけてきた。

「好きな子を言い合おうよ。」

じゃんけんか何かで自分から言うことになった。
恥ずかしさを感じながらもその時気になっていた子を伝えた。
そうすると、この後言ってくれるはずのA君は、言わずに逃げてしまった。
その時は「騙された〜」くらいしか思わなかったので気にせずに帰った。

次の日、朝礼か何かで体育館に生徒が集まった。
体育座りをしている私の周りでひそひそ話を友達たちがしていることを感じた。

にやにやしながら私を見ている友達に対してその理由がわからなかったので、それを聞くとA君から私の好きな子が伝わっていた。

その時、言葉では形容し難い恥ずかしさに襲われ、クラスに戻った後、A君に詰め寄ったが笑ってまた逃げられてしまった。

もう後の祭りである。

その後、数年間はそのことで時折からかわれることがあり、私はそれがとても嫌だった。

だから、クラス替えのたびにその子と同じクラスにならないことを祈り続けた。

そのような出来事から、
・自分の思いを伝えることは危険だということ
・弱みを握られると立場が弱まり、主張ができず生きづらくなること
・人は信頼できないこと
と思うようになった。

そして、親しい友達であっても、その件でいじってくるかもしれないという恐怖に怯え注意深くコミュニケーションを取るようになった。

また、友達と衝突すると私の弱みを言われ無力を感じるので、人とぶつかるのを避けるようになり、虚勢を張って弱く見られないようにしなければと思っていた。

この経験を通じた人間関係への見方はこの先の人生でも変わらずに続いた。

人間関係におびえた過去

中学校に入っても周りは、あの子が好きだとか誰それと誰が付き合ったといった話題になるので、相変わらず恐怖を感じていた。

人間関係でも常に周りを見てから判断するため、自分から主張することは少なくなんとなくグループの端の方にいるタイプで、中心にいる友達を羨ましいと感じていた。

同時期に、所属していた野球部で同じポジションで競争が始まり、勉強でも試験があるので評価される状況であった。

野球ではポジションは1対1の競争になるので、それに立ち向かう勇気はなく早々に譲り、勉強ではよい成績をとってなんとか上の立場にいられるように頑張った。

上の立場に立って、安心できる環境を得ようと。

高校では、地元の友達がほとんどいなかったので中学生まで感じていた人間関係の恐怖はなかったが、相変わらず周りを見ながら生活しており生きづらさを感じていた。

また、高校生と友達とは何となく関係性を保てたので、その関係性に変化が生まれることを嫌い、中学までの友達と高校の友達とが交わることを極端に嫌った。

生きづらさを感じつつも恐怖のない環境から、予期できない環境の変化が起きるのを嫌がっていたんだと思う。

安心できる環境探し

そんな私にも安心できる居場所ができた。
それは、バレーボール部の部活動だ。

入部してすぐ初心者ながら私が選択したポジションが1人になった。
自分がいないと成り立たないと感じる部活での活動は、価値を感じられる、明確な役割があると感じられる唯一の場所であった。

そのため、学校の教室より体育館が安心できる居場所になった。
部活の時間を心待ちにしていたし、そこで少しでも役割を果たすために、毎朝、始業の1時間前に体育館に来て一人で朝練をしていた。

部活がない月曜日や部活前の昼休みは、クラスにいてもむず痒く、部活に勝る安心感はなかった。

人との関係性を気にし続けてきた私は、大学の専攻もそれを扱う社会学に自然と興味が湧き、それを学べる学科だけを選択して受験した。

大学では、高校同様にバレーボール部に入部し、ここでもたまたまポジションが空き、高校同様ただひたすら周りに追いつけるように練習していた。
やはり、部活に夢中になって部員と過ごす時間は、私を安心させた。

私の能力は高くなくともチームで力を合わせれば、技術のあるチームに勝つことができる。

1人では自らを出すことに恐怖を感じたままであったが、部活動の中であれば、恐怖を感じることもなかった。

そのため、部活は高校、大学共に常に安心できる場であったので、最優先していたし、他の繋がりは疲れると感じてあまり重視していなかった。

このような学生時代を過ごしたことで、就職活動での学生時代に頑張った経験では、部活動での経験を活かして、集団における利益を最大化させるための役割について書いた。

信念をもって生きていくこと

私の過去を振り返ると、人との関係性や集団での役割を意識していた。

言い換えると、努力をしたり虚勢をはったり殻に閉じこもりながら、人との繋がりでいかに弱い立場にならないかを考えていた。

なぜなら、人との繋がりが私の幸福度に大きく影響を与えているからだ。
だからこそ、繋がりの中で役割を見つけそれを果たすことで安心し幸福感を満たしていた。

私は人との繋がりを重視しようとするあまり大事に扱いすぎて、扱える関係性の数に限界があり、関係性を広げる積極的な行動ができなかった。
このような考え方は少し窮屈に思える。

だから、私は繋がりを大事にしながらそれを増やしていくことが自らの幸せにつながるという考え方を持ち生きていきたいと思う。
具体的には、私が主体的に関わりたいと思う繋がりに自分らしさを使って貢献していきたい。

これから、私にとって繋がりを増やしていくことがなぜ幸福度に大きな影響を与えるかについて触れていきたい。

それは繋がりが増えていくことで、その方の出来事やつながりの中で生まれた出来事がどんどん自分毎となっていく。
自分事となった出来事は、その出来事から生じた気持ちの振れ幅を大きくさせて、私により大きな感動を生むはずだ。
その感動を享受する機会に多く恵まれることが幸福感をより満たすことにつながっていくと思う。

改めて私は繋がりを増やして自分を幸せに導くということを信念に生きていきたい。

そして、最後に目指す社会について書きたい。

人々が繋がりに積極的になる社会

目指す社会を入る前に私が認識している時代背景から書きたい。

それは、人との繋がりから得られるものはお金を払うことで得られるものが多く、そのため、人との繋がりが重要視される機会が少ない時代だということだ。

そして、お金を払うことで得られることが多い時代だからこそ、お金を増やすための方法やお金を生み出すためのスキルをどう磨いていくかが重要視されている。

他方、人間関係に関することは、それによるマイナスの影響をどう対応していくかということに関心が向けられていることが多く、人間関係を広げていくことを主眼においたものはあまり多くないと思っている。

そのような背景の中で、人は幸せになることを希求している。

私は、お金を払うことで得られる幸せやスキルを磨く過程や結果で得られる幸せもあるが、人と繋がることで得られる幸せもあると思っている。

さらにそれは、人と繋がることでしか得ることのできない幸せであり、それが人の幸せに大きく影響を与えるものでないかと。

だからこそ、私は人とつながることで生まれる幸せを発信し、人々が人と繋がることにより積極的になる社会を目指していきたい。

そして、私が行う海外で暮らすということは、その発信の機会を得ることに大きく繋がるはずだ。

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