【ショート】はかる人

はかる人、それは色々なもの、こと、きもちをはかる。

今日出会った野良猫のしっぽの長さ。あれが長いなら、あれは猫の中の長かもしれない。いつか三叉に分かれて夜道を練り歩く妖となるかもしれない。

電車の扉と乗り換え方面までの長さ。できるだけ短い方がいいけれど、近い方の車両は人が混んでいる。あえて距離をとって、前の人混みを遠巻きに眺めながらゆっくりと闊歩するのも良いかもしれない。ただ同じことを考える者も一定数いる。なあんだという気持ちにもなる。けれど、そんな人たちの歩みの速さをはかる。結局急いでいる。ホームの端は日差しがあって暑いから。足早に駅の傘の下へ隠れて、ため息を一つ漏らす。

隣の席の女性たちの会話。
「そんなことで悩んでんの変じゃない、時間の無駄だよ」
「えー、だって」

そんなこと。それもひとつのはかる言葉。
人は人を、行動を、気持ちを、概念を、はかる。

「そんなの別に無視すればよくない? 毒親ってやつでしょ」
長髪の女性、いわゆるOL然とした姿だ。対面の女性の方をそれとなしに真正面に見据えて問いかける。

「うん」
ただひとつ、そう応える女性。両肘をテーブルに突きながらラテの紙コップを持ったり置いたりしている。短めの髪が猫背の背中にふわりと乗っている。

「大丈夫だって。そんなんで悩んでたら時間の無駄だし」

「そうだね、そうなんだけど」

「けど?」

どこか追及するような口ぶり。鋭い差し込みの言葉が日のひかりとともに彼女らの間のコーヒーカップに差し込む。

「なんだかよくわからないけど、不安、みたいな気持ちない?」

「うーん」

「あるんだよ」

「何が不安なの」

「その、最初に紹介される時にどんなふうに言われるか、どんな雰囲気になるか、服はどうするかとか…」

「え、だからちゃんとした服でいいんじゃない」

「いやそれは、ちゃんとしたものだと…」

鼻先に張り付いた謎の影に向かって口を動かしているような、そんな女性の所作がどうしても目についた。

「やっぱ変だよ、人に見られるのそんなビクビクするの意味わからないし。嫌ならすぐ辞めちゃえばいいでしょ」

顔色変えずにそのままコーヒーをかき回し続けて言う女性。

その後も、彼女らの話題は進展していなかったように思う。

帰り道。今日のあの会話を頭の中で反芻していた。少しくぐもった、コーヒー豆のにおい。

そんなこと。

そんなものである、ということは、ソレをソレとして人がはかった足跡だ。

長髪の女性はきっと、そんなことを通ったことがあるのだ。遠い昔に、過ぎ去った記憶の中に。

世間の目に包まれて育てられて、その中で格闘した経験がなければ。ああいう言葉は出てこない。

「やっぱ変だよ、人に見られるのそんなビクビクするの意味わからないし」

至極合理でございまする。人の目を気にしてもどうしようもない。

でも、そうして人をはかるとき、それはその人をはかれていない。

短髪の猫背の彼女が、何を思い描いて悩み、繊細となり、明日もどうしていいかわからないのか、そのわからなさをはかることはできていなかった。

むずかしいものだ。目盛が違う物差しで会話をしているのだから。

でも、

小さな目盛りでしか見えない風景がある。

ふと夜道の街灯をひとつ、視界の中に入れてみる。

切れかけのライトが空蝉のようだった。

パチリ、パチリ。

このライトが止まって仕舞えば、この交差点で家路へと分かれてゆく子供の帰りは幾分ほど遅れるのだろう。

そう思いを馳せた私は、なんだか怖くなって、己が家路に急いだ。

まあ、はかる人というのもこんなものである。


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