痛みの無縁塚

何かが言葉になるときの痛み、というものを忘れぬようにしよう。

森元首相の辞任に触れて、「EXITの兼近」という人が「『偉そうなジジイ降ろしてやったぜ』って感じがして気持ち悪ぃ」と言った、そういう話を人々が波紋のように広げていて、私のところにもそれが届いた。その人のものとして断片的に届いた言葉を借りれば、私自身その「切り取りの文字」を読んだに過ぎないのだが。

それは理解できる心情だ。規範を逸脱するものへの攻撃、憂さ晴らしの標的にされたのだとすれば、それは気の毒なことなのだ。そして実際、せいせいした、と思う人も多くいたのだろう。そこに疼くものを感ずるというのは、よく分かる心情だ。

しかし私たちは、想像にであれ、思い出したい。
そこには、「辞めろ」という拙い声を上げねばならなかった、屈辱、忍従の日々があったのではないか。
ある人々は今日もまた「わきまえねば」と思い、はにかんで黙ったのではないか。
またある人々はこのような仕方で声を上げねばならないということに内心歯嚙みしながら、声を上げたのではないか。
そして、はじめに声を上げた人々の列に加わっていくことをどこか恥じらいながら、しかし憮然として一歩を踏み出した人々があったのではないか。
そのようなことどもを嵐のようにまとって、あの素朴な訴えは、老人の戸口に小石をぶつけたのではないか。己が産み落とされたときの痛みは知らぬげにして。

その痛みは、声を持ちつづけそのことに疑いを抱いてこなかった人々にも、通ずるはずである。思いは直ちに表出され聞き届けられるという者の、はじめから発することを許されなかった思いや、それゆえに抱えることすらできなかった「己の思い」というものがあるだろう。そうしたものを飲み下し、消化して、「男たち」は語ってきたのだろう。そうして失われてきたものへの、もはや本人でさえ忘れかけた無念というものを、私は悼みたい。それは、声を上げることのできなかった者と別様にではあるが、しかしやはり同じ世界の苦渋を生き、耐えることとして、苦しみを深く分かち合うものである。分断の深さを宿して。

私たちはこうした痛みを、忘れぬようにしよう。あらゆる言葉の背後に、それが捨てざるをえなかったもの、忘れざるをえなかったもののわななきがあるのだ、ということを。そしてそこからしか、私たちが互いの言葉を真剣に受け取るということもできないのではないか、ということを。


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