いじめや差別のその先は
世界で差別やいじめののニュース最近よく目にします。
いじめや差別、無視したりすることのその先には何があるのでしょうか?
私は引越しを12回経験しています。
その度に違う街、知らない町でその土地のコミュニティに入り、そこで役割を果たしたり馴染んでいくことをがんばりました。
子どもの頃の引っ越しはハミとセットでした。ちょっとした方言のニュアンスでも「偉そう」と言われたり、ちょっと「出来たら」無視されたり…
大人になっても母になっても、新参いじめのように無意味に蔑ろにされたり無視される事は何回も経験しました。
1時間ほど私の存在を忘れられてただぼーっと立って待っていたとき、大人になってもこんな事があるのね…とかんじました。
こうして「あの」疎外感を感じることは悲しいことです。
大人になってやっと、こうやってエピソードを人前で言えるようになりましたが、子どもたちは恥ずかしさや驚きや複雑なショックを受けて人に話せないのです。
本来、こんなに短い一生なのだから、人にかまっている時間なんてないはずです。
いじめや差別に自分の人生の大切な時間を使った先にあるものは…?
私は「無くなった時間」がさみしいだけだと思うのです。
いじめられた方に特に理由が無いなら、いじめられた方にもいじめた方にも空虚な気持ちが残り、時間がただ「無くなった」だけなのです。
こんな人生、過ごしたいですか?
人それぞれ色々な考え方があります。
複雑な事情もあることも承知ですが
どこかの誰かの心が軽くなるかもしれないと思って書いてみました。
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